このような資金循環構造を前提として高度性長期においては、個人部門の資金 余剰を基幹産業を中心とする法人金融部門へと円滑に融通し、輸出・設備投資 主導の経済成長を金融面から支えることが求められた。このため、個人部門の 貯蓄資金を金融機関に集中のうえ成長戦略産業へと低利で重点的に配分するこ とを狙いとして、業務分野規制、金利規制および内外市場分断規制に加え起債 調整など、各種の競争制限的規制が課され、それらの規制に支えられる形で、 高度成長においては間接金融主体の企業金融が支配的な形態となっていた。
しかし、1973年の第一次石油危機の発生や変動相場制への移行等を契機と して、わが国の金融・経済をとりまく内外条件が大きく変化することになった。 すなわち、日本経済の安定成長経路への移行に対応して、わが国企業は減量経 営を押し進めたほか、産業構造の面でも重厚長大型産業から省資源・省エネル ギー型あるいは知識集約型産業への転換が図られた。また、所得の伸び率低下 から、家計は貯蓄形成とその収益性に対しこれまで以上の注意を払うようになっ た。こうした民間非金融機関部門による対応は、金融面においては資金余剰の 拡大および金利選好意識の高まりとして現れた。
一方、公共部門では、景気の下支えを狙いとして積極的な財政支出の拡大が図 られた反面、税収が伸び悩んだ結果、1975年以降、財政赤字が拡大した。 その対応として国債の大量発行がもたらされ、結果として国債流通市場の拡大 を促した。加えて、為替管理の緩和・弾力化を背景として、日本経済の国際化 や内外資本移動の活発化も進展したが、そうしたなかで金融の国際化が進み、 この面からも高度成長の金融制度は変革を迫られることになった。