第二部
国内貯蓄と国内投資の関係について
- 資本取引のグローバル化はそれを希薄化させているか -
堀田朋也 : 総合政策学部2年
1 はじめに
現在、日本では他の先進国に例を見ない早さで高齢化が進んでいる。そして、高齢化が進むと貯蓄率が下がるだろうと言われている。それは、貯蓄を行う生産年齢人口に対する貯蓄を取り崩すであろう高齢者の割合が上昇するためである。さらに、貯蓄率の低下に伴うように投資率も減少するだろうと言われている。たしかに、資本取引が制限された閉鎖経済の下では、貯蓄不足になった場合、海外から資金を借り入れることが出来ないため、結果として貯蓄率が下がる様に投資率も下がることだろう。この場合、国内貯蓄と国内投資との関係は強まり、両者の間には相関が見られると思われる。一方、資本移動が自由な開放経済下では、国内の貯蓄不足は海外から借り入れをすることで賄うことができ、貯蓄率が下がる程には投資率は下がりはしないだろう。この場合は、国内投資と国内貯蓄との間には強い関係は生まれず、両者の間に相関は見られないだろうと思われる。そして、現在は金融市場のグローバル化がすすみ、資本取引は自由な経済であると考えられるので、閉鎖経済下での様な状況は見られないだろうと思われる。
しかし、Feldstein and Horioka(1980)は、(以下、FHとする。)経験的に国内貯蓄と国内投資との間には強い相関があることを実証して見せた。その後、多くの研究がその賛否に関する論文を発表しているが、現在においても決着はついておらず、Feldstein-Horioka Paradox として広く知られている。もし、FHの言うように貯蓄と投資との間に相関があるのなら、今後貯蓄率が下がっていくのと同じ割合で投資率も下がっていくことになる。それは、投資と貯蓄との間に相関があるということは、国内の貯蓄不足を海外からの借り入れで賄うことが出来ないことを意味すると思われるからである。結果として、貯蓄率が低下する割合で、国民所得の伸び率も下がっていくことだろう。
高齢化によってもたらされる問題としては、年金問題や医療費問題、社会保障、税収の減少などが考えられる。資本移動が流動的ではないために起る成長率の低下は、高齢化が生み出す問題を、更に解決困難なものへと変えてしまうかも知れない。政策担当者にとって、国内の貯蓄不足を外国からの借り入れで賄えるかどうかが重要な問題となってきているのである。
では、国際間の資本移動は、制度的には自由でも、実際には流動的だとは言えないのだろうか。それとも、FHが得た結果は、分析の仕方自体に問題のある、意味のないものなのであろうか。そこで、本稿では、2節でFHの実証分析の方法を紹介するとともに投資と貯蓄との相関を分析し、3節でFHの分析上の問題点について論じる。4節では投資家の選択行動について考え、なぜ資本の流動性が低くなってしまうのかを検討することにする。そして、5節では国際的な資本の流動性を高める必要性について理由を述べたいと思う。
2 長期的に見た投資と貯蓄の相関分析
2.1 資本の国際的流動性の含意とその尺度
資本取引に関して閉鎖的な経済の場合には、国内の貯蓄が不足したとき、海外からの資金の借り入れでその不足分を賄うことは出来ない。逆に、国内の貯蓄が増加したときには、貯蓄の増加分は全て国内投資に賄われることになる。そして、対外投資は存在せず、そこから得られる移転収入はあり得ないことから、国内貯蓄の増加分は国内資本の限界生産物に等しくなる。以上から、閉鎖経済の下では国内貯蓄と国内投資との間には強い関係が生まれることになり、両者の間には相関が見られると考えられる。つまり、閉鎖経済下では、国内貯蓄率の変化が国内投資率の変化を生み出すと思われる。 (国内貯蓄率とは国内貯蓄の対GDP比率のことで、国内投資率とは国内投資の対GDP比率のことである。
一方、開放経済の下では、たとえ国内貯蓄が不足したとしても、資金の不足分は海外からの借り入れで賄うことが可能である。また、国内で超過貯蓄が生じた場合には、資本移動が自由であれば、海外の高い投資収益機会をもとめて資本は流出していく。そして、そこから得られた移転収入が国内貯蓄の増加分に加えられので、国内貯蓄の増加分は国内資本の限界生産物とは等しくはならない。よって、開放経済下では、国内貯蓄と国内投資との間には強い関係は生まれず、両者の間に相関が見られることはないと思われる。そしてさらには、国内貯蓄の増加が国内投資を増やすとは限らないと考えることが可能になる。それは、海外に高い投資収益機会があるなら、貯蓄の増分が海外へと流出するからである。また、国内貯蓄の減少が国内投資を減らすとは限らないことも、同様の理由から導き出される。 (以上は、FHを参考にしている。
以上から、理論的な閉鎖経済下では国際間の資本移動は流動的ではなく、開放経済下では流動的であると考える事ができる。そして、現在は経済の開放度が高いので、資本移動は流動的であるとの推測が可能である。とは言っても、資本の流動性を現実にどの様な尺度で計るのかという問題が生じてくる。世界中で、広く受け入れられた計測方法が無いからである。一般的に、資本の流動性は次の二つの方法で計られることが多い ( Obstfeld(1986))。一つ目は、国内資産と海外の資産との期待収益率同士を比較する方法である。資本の流動性が高ければ、高い収益機会を求めて、海外へ資本が流出したり国内への流入が生じる。結果として裁定作用が働き、同一通貨で見た場合の資産の期待収益率は世界中で平準化する。よって、世界中の資産に見られる期待収益率の差異が資本の流動性の高さを表すと導くことが出来る。二つ目は、FHによって始められた方法で、国内貯蓄率と国内投資率との相関を推定するものである。資本の流動性が高ければ両者の間に相関は見られないだろうし、流動性が低ければ相関が見られるだろう。
短期の資本移動が流動的に行われていることは理論的にも実際にも明らかではあるが、はたして、長期の資本移動も短期のそれと同様に、流動的 (Murphy(1984)によれば、完全な資本の流動性とは、次の二つの事を意味する。一つ目は、資産には必ず完全な代用品がある、ということ。二つ目は、金融市場は瞬時に情報を吸収し裁定作用が生じる、ということである。)
なのであろうか。次小節では、FHのをもとに、長期的に見た投資と貯蓄の相関分析を見ていくことにする。
2.2 Feldstein and Horioka(1980) による実証分析
この小節では、Feldstein and Horioka(1980)をもとに、長期的な貯蓄と投資との関係について論じることにする。
(分析枠組みと利用データ)
資本移動が自由な世界なら、貯蓄の増分は投資収益の低い国から高い国へと移動していく。よって、国内の貯蓄率が低下したとしても、海外からの資金によって不足分が賄われるため、貯蓄率の低下と同じように投資率も下がるということはあり得ない。けれども、もし資本の流動性が低い世界であったなら、資金の不足分を海外からの流入資金で賄うことは出来ないので、投資率も同じように低下することになる。この場合、投資率と貯蓄率の間には強い相関が生まれる。そこで、本節では、貯蓄と投資との相関を尺度にして、資本の流動性を見ることにする。
FHは、貯蓄率と投資率との関連の度合いを計るために、主要な先進国 (OECD諸国、21ヶ国のデータ:オーストラリア・オーストリア・ベルギー・カナダ・デンマーク・フィンランド・フランス・ドイツ・ギリシア・アイルランド・イタリア・日本・ルクセンブルグ・オランダ・ニュージーランド・ノルウェー・スペイン・スウェーデン・スイス・イギリス・アメリカ)のデータを用いて、横断面分析を行っている。期間は1960〜74年の15年間で、データとなった国々の総貯蓄 (FHがNetではなくGrossを指標として用いてるのは、1:世界中を自由に動き回るのはGrossだから、2:会計上の問題、の二つの理由のためである。2の理由は、インフレが激しい国では、減価償却費が過小に評価されるなどして不完全なためである。)の対GDP比率の平均は0.25であった。一方、これに対する投資率の平均値は0.254である。
貯蓄率と投資率との関係を検証するために、FHは次の様な単純化した方程式を用いている (FHは、貯蓄率が上昇すれば投資率との結び付きが弱まる可能性を考え、回帰式が線形であるかどうかを問題にしている。FHが検証した結果、線形ではないとは明らかには言えない結果が見られている。)。
(I/Y) = α + β×(S/Y)
但し、I/Yは投資率、S/Yは貯蓄率である。もし、資本が完全に流動的なら、上記の理由によりβの値は0になる。逆に、βの値に1に近い値が見られるなら、貯蓄の増加分はほとんどが国内投資へと使われていることになり (閉鎖経済下でのケインジアンの理論によれば、外生要因による投資の変化は、国民所得の変化を通じて貯蓄の変化をもたらす。しかし、同様の事が開放経済下でも成り立つ保証はない。)、資本移動は流動的だとする仮説に反すると解される。
(基本的な結論)
FHは、16ヶ国 (先の21ヶ国からフランス・ルクセンブルグ・ノルウェー・スペイン・スイスの五ヶ国が削除されている。理由は、計測期間中にに国民所得計算の方法を変更しているためである。)の15年間のデータを用いて回帰分析を行った。総投資率を被説明変数にして総貯蓄率との関係を推定した場合、βの値は0.94(標準偏差は0.09)であった。5年間の副期間ごとのβの値もこれに近い値を残している(図表1)。この結果は、資本移動が流動的だとする仮説に明らかに反し、現存する国際的な資本の流れが、貯蓄率の相違に反応している様には見えないと、FHは述べている。さらに、構造的な要因である人口の増加率や国際的な開放度 (開放度の指標としては、1:貿易額(輸出額と輸入額の合計)の対GDP比率、2:自国経済(GDP)の世界経済で占める割合から見た経済規模 の二つ。)をさらなる変数に加えて貯蓄の内生化を行って回帰分析を行っているが、やはり1に近いβの値が見られている。
次にFHは、総所得と総支出の差額である経常収支に着目して考察している。もし資本移動が自由な世界であるなら、貯蓄の増分は高い収益率を約束する国へと流れていくため、国内投資との間に相関は見られない。一方で資本の流出は経常収支を変化させるため、貯蓄と経常収支との間には強い関係が見られるはずである。以上から、βの値が1だということは、貯蓄の変化分は全て投資の変化をもたらしていることになり、貯蓄率と経常収支との間に関係は全く見られないと考えることが可能になる。 (βの値が1の場合、貯蓄率の上昇は投資率の上昇をもたらすことを意味しているので、総所得と総支出との差額である経常収支は一定となる。)FHは、貯蓄率の変化が輸出率や輸入率に与える影響を見ることで経常収支と貯蓄率との関係の強さを調べ、それをもとに資本移動の流動性を計ろうとしている。そして、15年間と5年の副期間とに分けて貯蓄率と輸出入率との関係を推計し、貯蓄率の変化が輸出率と輸入率とに与える影響はほとんど見られないことから貯蓄率と経常収支との間には強い関係はなく、よって貯蓄率と投資率の間には強い関係が存在すると結論づけている。
以上の結果から、FHは、資本移動が流動的だとする仮説に反していると解し、次のように判断している。それは、たしかに短期資産の裁定作用や大きな量の長期的な直接投資や金融投資は活発に行われてはいるが、何らかの硬直性や投資家の選好によって貯蓄の増分はほとんどが国内投資に用いられている、ということである。
(貯蓄率の内生化による分析)
これまで、貯蓄率を外生的な変数として見てきたが、長期的に見れば貯蓄率は構造的な要因によって決定されるという前提のもとに、上記の公式を長期的なものとしてとらえて貯蓄率の内生化による分析を、FHは行っている。その理由は、もし貯蓄率と投資率との間に強い関係があるのなら、継続した貯蓄率の変化が投資率に影響を与えるため、継続したファンダメンダルズを用いて貯蓄率の内生化を行ったとしても、貯蓄率と投資率との間には強い相関が見られるはずだと考えたからである。
FHは、まず、国内の貯蓄率に影響を与えるであろう外性的な要因を調べている。そして、伝統的なライフサイクルモデルを拡張して考えられる要因 (考えられる要因:国民所得の伸び率、高齢者比率(65才以上の人口の生産年齢人口に対する比率)、年少者人口比率、移転所得と社会保障給付費の退職前の給与に対する比率、高齢者の労働参加率、などである。)を説明変数として加えて分析を行い、さらに被説明変数として民間の貯蓄率を用いている。
FHが推定 (OECD21ヶ国の内、12ヶ国のデータを用いている。)を行った結果、高いβの値が見られた。貯蓄の内生化を行ったが、やはり貯蓄と投資との間には強い相関が見られ、資本は流動的だとする仮説に反している。
(Feldstein and Horioka(1980)の結論)
FHが比較を行ったのは、資本の流動性に関する二つの仮説である。結論を言うなら、経験的な統計学的な根拠からは、資本移動は流動的であるとする仮説に反する結果が見られた。
しかし、この結論は長期的な直接投資による大きな国際間の資本移動の存在と対立するものではないと、FHは論じている。その理由として、ほとんどの対外直接投資は交易条件の向上や特有の知識の活用が目的であり、貯蓄率の相違に対してそれほど敏感ではないからだと、FHは主張している。つまり、直接投資などの構成要素を取り除いた後の資本の移動を見た場合には、国際的に資本は流動的だという仮説に反する結果が出ているのである (FHは、国際間の資本移動を次の二つに分けて考えていると思われる。一つ目は、国際間の長期金利の相違から得られる利ざやを求めての資本移動。二つ目は、それ以外の目的を持った資本移動のである。)。
もともと、FHが資本の流動性を分析した目的は、最適な税制への指標を与えるためである。資本移動が流動的な世界であるなら、税率を高めると資本が海外へと流出することになる。これは、投資家が税引き後の収益率を、税率が高まる前の値と等しくなるように行動をするからである。よって、政府が最適な税制を行おうとする場合、資本移動が流動的かどうかが非常に重大な問題になってくる。
FHの結論は、長期資本は流動的であるという仮説に反するというものである。たしかに、短期的な資本取引は流動的に行われ、裁定作用によって国際間の金利は平準化している (深尾(1990))。同様の事が長期的な資本取引にも起りうるとする仮説に対して、FHは疑問を投げ掛けているのである。国際間の資本の流動性を考える上で、非常に意味のある結論であると思われる。
2.3 まとめ 〜 FHの実証分析の限界と問題点
FHがその論文の中で実証したのは、資本の流動性に関する仮説は経験的には支持されないというである。しかし、相関が強いことで流動性は低いと決めつけても良いのだろうか。FHも、資本は流動的であるとする仮説に反すると言いながらも、資本は非流動的であるとは言ってはいない。それは、節の初めでも述べたように、貯蓄と投資との相関の強さは資本の流動性を計る指標の一つでしかないからである。
さらに、FHは、実証手法自体に問題が多いことが指摘されている。その一つは、為替リスクを完全に無視している点である。国際間の資本移動であるため、為替リスクが強い相関を生み出させる可能性は多いにあり得る。なぜならば、長期的な資本取引では先物市場が存在せず、結果として短期的な資本取引では見られない様な資本の硬直性が為替リスクによって生じることも考えられるからである。二つ目は、全ての国を同一の性質を持つものとして扱っている点である。 (Fujiki and Kitamura(1995)によれば、クロスカントリーデータを用いて分析を行う場合、各国特有の異質性を考慮にいれて行わなければならない。それは、その異質性が理由となって、バイアスがかかる可能性があるからである。そして、各国の異質性を考慮にいれた実証分析では、相関がそれ程強くないケースも得られている。)もし、世界経済へ与える影響力の大きさが貯蓄と投資の関係のを左右する主な要因であるなら、全ての国を同一に扱うFHの公式から出される相関係数は、世界経済への影響力の強い国(以下では、大国)に見られるであろう強い相関のバイアスを受け、高い値が見られる可能性が考えられる (Murphy(1984))。三つ目は、経常収支と貯蓄との関係を見てはいるが、問題が多いと指摘されている点である (Caprio(1984))。四つ目は、貯蓄と投資の両方に影響を与える要因の可能性を無視している点である (Obstfeld(1986))。確に、FHも両方に影響を与える要因を変数に加えた分析を行ってはいる。しかし、その結果の解釈の仕方が、貯蓄の変化で投資の変化を説明することが可能かどうかという方向性を見るだけで、両方へ同時に与えられた影響が相関を生み出す可能性を無視している。
そこで次節では、以上の要因が相関を生み出すのかどうかについて考え、FHの実証分析の結果に再考察を加えることにする。はたして、資本は流動的で、FHによって示された強い相関は実証分析の仕方に問題があったために生じた誤解でしかないのだろうか。それとも、どの要因を考慮にいれたとしても、FHの結論を覆すことは出来ないのであろうか。
3 Feldstein-Horiokaの結論の再考察:4つの要因
この節では、FHの実証分析の上記4つの問題点、すなわち(1)為替リスク、(2)大国と小国、(3)経常収支と貯蓄率との関係、(4)貯蓄と投資の共変動、につき、最近の諸研究をふまえて考察を加えることにする。その場合、手法としては彼らの手法を踏襲する。FHの手法を踏襲する理由は、投資と貯蓄との相関分析によって資本の流動性を計る方法が実証分析に多く用いられている方法だということ以外に、この節の目的が、FHが考慮に入れなかった要因の内で貯蓄と投資との間に相関を生み出させるものがあるのかを知ることにあるからである。
3.1 為替リスクの影響
FHの結果は、為替リスクを考慮に入れた場合、どの様に変るのだろうか (この部分は、原(1982)を参考にしている。)。為替リスクとは、一般的に、「為替相場の変動によって損失を蒙り、または期待させれる利益を喪失する可能性」のことである。具体的に言うと、円を中心に考える場合、将来の為替相場で円との交換が行われる特定の外貨建債権や債務額、外貨建契約額がある時に、その相場が確定していなければ為替リスクがあるという。例えば、イギリスにある資産を所有していたとしよう。もし、イギリスポンドと円との交換レートが変化したなら、レートが変化する前と後で、資産の相対価値が変ることになる。ポンドが切り下がったなら、日本円に換算した時のポンド建て資産の価格は、切り下がる以前の価格よりも下がってしまう。また、イギリスでの物価上昇率が日本の物価上昇率よりも高い場合も、同様に日本円に換算したポンド建て資産価格が目減りすることになる。
短期的には先物市場があるおかげで、為替リスクは存在しない。それは、決済取引を行う時点の為替レートを事前に確定する取引がそこで行われるからである。よって、短期的には資本の流動性への為替レートの影響はあり得ない。けれども、長期的な先物市場は一般的には存在しておらず、結果として長期での資本の取引には為替リスクが強く影響するだろうと思われる。そこで、この小節では、為替リスクが長期的な資本の流動性に影響を与えるのかを考えることにする。
(国内データを用いた分析)
Yamori(1994)は、日本国内の都道府県のデータを用いて横断面分析を行っている。国内のデータを使う理由は、為替リスクが国際的な資本取引に与える影響を見ることが出来るからである。もし、都道府県ごとのデータでも投資と貯蓄と間に相関が見られたなら、為替リスクが相関の強さに寄与する割合は小さいと解することができる。逆に、まったく相関が見られなければ、FHが示した相関は、為替リスクの影響の結果であると考えることが可能になる。
Yamori(1994)は、1970年から85年迄の間を三つの副期間に分け、FHが用いた公式を使って投資と貯蓄との相関分析を行った。その結果、βは0.5に近い値が得られた。相関が見られた原因としては、一つ目に、変数として含まれていない要因が強く働いている可能性がある。例えば、東京や大阪、愛知などでは高い貯蓄率にも関わらず低い投資率が見られている。 (この三つの地域には、大企業の本社などが位置しており、他府県とは異なった地域である。)逆に、沖縄では、低い貯蓄率と高い投資率とが観測されている。 (歴史的な背景が関与している可能性がある。)これらの四つの都府県が、先ほどの結果に強い影響を与えていると思われる。そして、二つ目の原因に、貯蓄の内生化によるバイアスが考えられる。貯蓄の内生化は、人口統計学的な要因や政府行動の反動などが影響するからである。
以上の問題点を解決するために、Yamori(1994)は、人口統計学上の問題点を考慮して二段階最小二乗法を行い、政府の影響を排除するために民間設備投資を被説明変数にしてもう一度分析を行っている。その結果、いずれの期間においても相関は見られなかった。(図表2)
また、Dekle(1995)も日本のデータを使って分析を行っている。 (彼が日本のデータを選んだ理由は、日本の地域別の統計データが、他国のそれよりも優れているからである。)彼は、47都道府県の内、関東と関西地方の中で総収入が高い府県を省いて相関分析を行っている。 (省いた理由は、大阪や東京の近郊に住む人々は大阪や東京で消費を多くしていると思われるので、東京や大阪の消費額は過大評価されている可能性があるからである。)
総投資と総貯蓄との相関分析をした結果から、弱いが負の相関が見られた(図表3)。この原因は、地方政府の貯蓄率と投資率とが負の相関関係にあるからである。例えば、中央政府から地方政府へは、多大な量の交付金が送られている。貧しい地方の場合、税収は低水準であるが、中央政府からの交付金のおかげで投資は活発になる。結果として、地方政府の貯蓄と投資との間には、負の相関が見られることになる。
以上から、為替リスクの存在しない国内においては、資本は非常に流動的であることがわかる。Yamori(1994)が示した様に都道府県のデータでは貯蓄と投資との間に相関が見られないなら、資本取引が滞り無く行われていると解することが出来る。また、Dekle(1995)が論じたように総投資と総貯蓄との間に負の相関が見られる原因が地方政府にあるなら、やはり資本移動は流動的だと考えることが出来る。それは、お金の足りない貧しい地方政府へ中央政府から流動的に資本が移動することで、投資率が下がらずすんでいるからである。もし、中央からの交付金が無ければ、税収の少ない地方では公共投資も当然少なくなってしまう。これは、まさにFHが示そうとした投資と貯蓄との相関であり、資本の非流動性を表す指標であると思われるからである。
以上から、地方政府の税収と投資との負の関係は、資本が流動的であることを示していると思われる。相関の強さだけを指標にしてまとめるなら、国家間よりも、国内での方が資本は流動的に動いており、投資と貯蓄における相関の背景には為替リスクの存在が考えられる。
けれども、単純に以上の結果を鵜呑みにすることは出来ない。Harberger(1980)は、投資と貯蓄との相関は、分析する地域の地理的な大きさによって影響を受けると論じている。例えば、一つの家庭内での投資と貯蓄との相関よりも、町内全体での投資と貯蓄との相関の方が高い値が得られる可能性が大きい。つまり、一区画から一つの市、県、地方、国と言う順に地理的な範囲を拡大していくと、投資と貯蓄との相関が強まると言っているのである。Harberger(1980)に従うなら、Yamori(1994)やDekle(1995)が示した結果は、為替リスクが無かったために生じた結果であるとは言えなくなる。それは、もしかしたら、たとえ為替リスクが無かったとしても、国家レベルにまで地理的に拡大した地域では、投資と貯蓄との間に相関が見られるかもしれないからである。逆に言うなら、Yamori(1994)とDekle(1995)らの結果は、ただ地理的な大きさが狭まったために得られた結果であるかもしれない。
そこで、次小々節では、EMS(欧州通貨制度)下の国家のデータを用いて相関分析を行った研究の結果を見ることにする。この分析を行う利点と目的は、一つ目に、Harberger(1980)の言う地理的な要因を排除出来ること。そして、二つ目には、EMSの導入前と導入後での投資と貯蓄との相関の相違を見ることである。
(欧州通貨制度参加国と非参加国との比較分析)
この小々節の目的は、欧州通貨制度の為替レートのメカニズムに従う国と、そうではない国とで投資と貯蓄との相関に違いが見られるかどうかを調べることにある。 (この小々節は、Bhandari(1990)を参考にしている。)欧州通貨制度では、域内固定相場が要求され、一方では資本移動に対する行政的な障壁の撤廃などが行われている。つまり、おおよそ金本位制の頃と同様な状況であると言える。もし、為替リスクが投資と貯蓄との間に相関を生み出す原因だとするなら、Yamori(1994)やDekle(1995)らが得た結果と同じように、EMS下での国では投資と貯蓄の相関が見られないだろう。逆に、相関が見られたなら、Yamori(1994)やDekle(1995)らが得た結果は地理的な範囲が小さかったために生まれた相関であり、為替リスクと長期の資本移動の間にはなんら関係は無いと解することが出来る。
Bhandari(1990)は、1975年から87年までの先進国16ヶ国のデータを用いて相関分析を行っている。 (EMS参加国は、ベルギー・デンマーク・フランス・アイルランド・イタリア・ドイツ共和国・オランダの七国に加えて、オーストリア。参加していない国は、スペイン・スウェーデン・スイス・イギリス・オーストラリア・カナダ・日本・アメリカである。)16ヶ国全てを扱った横断面分析では、総投資と総貯蓄との間に強くは無いが相関が見られた。同様に、非EMS諸国のデータでも更に少しだけ強い相関が得られた。けれども、EMS諸国ではほとんど相関は見られなかった。このことから、EMS下では資本は非常に流動的であると思われる。(図表4)
さらに、データを3年ごとの副期間に分け、1979年のEMS導入の前後で相関の強さに変化があるかどうかについても分析を行っている。一つ目の期間は75年から78年で、EMSの導入前である。二つ目の期間は79年から82年。そして三つ目の期間は83年から87年の間で、この時期は為替レートが更に安定をしていた。以上の三つの期間に分けて分析を行った結果、全ての国のデータや非EMS諸国でのデータでは変化は無かったが、EMS諸国のデータでは、EMS導入後に投資と貯蓄との間の相関が大幅に下がっている結果が得られた(図表5)。このことから、為替レートの変動が投資と貯蓄との相関に与える影響は十分に考えられる。
以上をまとめるなら、EMSという為替リスクの無い制度のもとでは、投資と貯蓄との間に相関は見られなかった。また、EMS導入前と導入後で相関の強さが変っていることからも、為替リスクが資本の流動性に与える影響は多いに考えられる。
(むすび)
以上から、為替リスクの投資と貯蓄の相関への影響は否定できない。Yamori(1994)やDekle(1995)、Bhandari(1990)らが実証して見せた様に、為替リスクの無い世界では長期的な投資と貯蓄との間に相関が見られなかったからである。Harberger(1980)が論じた地理的な要因によって作られる相関も、EMS諸国での結果から、それ程決定的な説明では無いと思われる。であるなら、為替リスクは、投資と貯蓄との間に長期的な相関を生み出す原因の一つであろうと考えられる。
さらに、この結果をもってしても、FHの実証分析の妥当性を否定することにはならない。それは、一つ目に、FHとBhandari(1990)とでは、データとして用いた年が異なるからである。そして、二つ目は、Bhandari(1990)の分析においても、16ヶ国全てのデータを用いた時には、FHのもの程では無いにしろ、強い相関が見られたからである。この二つの理由から、この小節での結果は、FHの資本は流動的ではないとする結論に対立するものではなく、むしろ補強をするものであると言える。
けれども、為替リスクで投資と貯蓄との相関の全ての部分を説明できる訳ではない。たしかに、EMS諸国では相関が低かったことから、非EMS諸国よりもEMS諸国での方が資本は流動的であると考えることが出来る。しかし、French and Poterba(1991)らによれば、EMSに参加しているフランスやドイツの証券市場においても、国内債権を所有する割合は圧倒的に国内の投資家が多いのである。もし、EMS諸国の中では資本移動が流動的であるなら、国内資産は海外の投資家にもっと所有されていても良いのではないだろうか。
最後にまとめるなら、為替リスクだけでは、資本の流動性を全て説明出来るわけではなく、他の要因も関わっていると思われる。それは、為替リスクが投資家の期待を変化させるのと同様に、長期的な投資行動へ影響を与える要因が他にもあると思われるからである。為替リスクが資本の流動性に与える影響は大きいと考えられるが、更なる要因はいったい何なのであろうか。
3.2 世界経済への影響力と資本の流動性の関係
FHの二つ目の問題点は、大国と小国 (Gordon(1994)によれば、大国と小国の違いは、市場での価格決定に影響力があるかどうかである。例えば、国内金利が上昇した場合に世界金利をも押し上げる様な国を大国、世界金利にほとんど影響を与えないような国を小国と呼ぶ。)とを区別せずに分析した点である。もし、世界の資本市場の水準へ与える一国の影響力が貯蓄と投資との相関を生み出す重要な要因であるなら、全ての国を同一に扱うFHの公式を用いて推計を行うと、世界経済への影響力の強い大国が混ざることで相関係数が高まるようなバイアスがかかる可能性が考えられる。以上から、この小節では、世界経済への影響力が投資と貯蓄の相関に与える影響の大きさを見ることにする。
(大国と小国とを区別しての相関分析)
Murphy(1984)は、自国経済が世界経済で占める割合が大きい大国であれば世界経済への影響力も高まり、結果として貯蓄と投資の間の関係は強まるのではと考え、OECD17ヶ国を大国のグループと小国のグループとに分けて分析を行っている (大国と小国とを区別する指標は、それぞれの国の貯蓄と投資、GDPのOECDの全ての国の中で占める割合である。)。大国は7ヶ国 (カナダ・フランス・ドイツ・イタリア・日本・イギリス・アメリカ)、小国は10ヶ国となった。 (大国:カナダ・フランス・ドイツ・イタリア・日本・イギリス・アメリカ 小国:オーストラリア・オーストリア・ベルギー・デンマーク・フィンランド・ギリシア・アイルランド・オランダ・ニュージーランド・スウェーデン)貯蓄率と投資率の相関分析を行った結果からは、小国のグループを対象にした推計よりも、大国のグループや17ヶ国全てを対象にした推計の方で強い相関が見られた。さらに、大国7ヶ国のデータから日本とイギリス、アメリカのデータを除いて推計した場合、相関はほとんど見られなかった(図表6)。以上から、削除された3国が、大国のグループや17ヶ国全てを扱った推計で得られた相関係数にバイアスをかけていた可能性を確認することが出来る。
しかし、この結論をそのまま受け止め、国の大きさが投資と貯蓄を同じ方向へ動かす主たる要因であると言うことは次の二つの理由から少し強引であると思われる。その一つ目の理由は、大国においても相関が見られないケースが見られているからである。Frankel(1991)は、1929年から87年のアメリカのデータを用いて貯蓄率と投資率との相関分析を行い、日本やイギリス、ユーロ市場などで金融の自由化がすすんだ79年をさかいに、相関が弱まった結果を得ている(図表7)。もし、Murphy(1984)の説が正しければ、レーガノミクスの影響で政府支出が拡大し貯蓄率も低かった状況で、投資率と貯蓄率との相関の強さが弱まることなどあり得ない。相関が弱まった理由には、国内貯蓄の不足分を海外からの借り入れで十分に賄うことが可能であったためであると思われる。
二つ目の理由は、貯蓄や投資の変動が経常収支に対して大きな影響を与えることから、 (ISバランスより、S - I = NX である。)たとえ大国で強い相関が見られているとしても、常に投資と貯蓄とが同じ方向へ動くのだと言う根拠にはならないからである。というのも、たまたま相関が見られているだけであって、常に投資と貯蓄との差が一定であることの裏付けにはならないからである (その国が大国の場合、資本の輸出国だろうと輸入国だろうと、もはや価格受容者ではない。資本の輸出量や輸入量を規制することで、世界利子率を最適な価格へと導こうとするインセンティブも生まれてくる。資本の純取引を制限するわけなので、投資と貯蓄の間に強い相関が生まれる可能性は大いにある。けれども、資本の純取引を制限しているといっても粗取引は自由なわけであり、資本は非流動的だと言うことは出来ない。)。
三つ目の理由は、小国で相関が強いケースも存在しているからである (Montiel(1994)の発展途上国のデータを用いた文献を参照。)。例えば、資本の純流出や純流入を制限している国の場合、市場での影響力とは関係なく、資本の流動性を示す相関の強さが見られるのである。
(むすび)
結局、大国でも小国でも相関が見られるということは、世界経済への影響力が相関の強さに寄与する割合は限定的なもので、決定的なものではないと言える。それは、一つ目に、たしかに大国での貯蓄率の変化が国内利子率の変動を通じて世界利子率をも動かすと思われるが、利子率の変動が投資計画を変化させる寄与度は小さいため、利子率が下がったとしても、投資が増加するとは限らないからである。というのも、企業の投資の決定に関しては、利子率よりも、将来に対する期待や設備ストック調整などの方が重要な要因であるからである。 (経済企画庁(1997)は、GDPベースでの実質設備投資は、94年いっぱいまで減少を続けた後、95年の1〜3学期からは増加に転じ、次第に回復傾向が顕著になってきていると述べている。そして、設備投資回復の背景として、(1)設備ストック調整の進展、(2)企業収益の改善、(3)実質利子率の低下、などを挙げているが、実質利子率の低下による寄与度は大きくはないとしている。)であるなら、大国が貯蓄率の変化を通じて世界利子率を変動させたとしても、必ずしも投資を変化させるとは限らない。この様に考えるなら、大国で貯蓄と投資との間に相関が見られるのは、世界経済への影響力以外の何かが働いていると思われる。
二つ目に、大国でも小国でも、資本統制を行っている国では、投資と貯蓄との間に強い相関が見られるからである。資本統制を行っているなら、資本の流動性は低くはないと言うことは出来ない。つまり、国の大きさだけで相関の度合いを説明できるわけではなく、そして、相関の強さが資本の非流動性を表していないと言いきることも出来ない (Obstfeld(1986)は、1959年から84年におけるアメリカでの相関の度合いと資本の流動性との関係の強さについて、金本位制下のイギリスで見られた投資と貯蓄の強い相関をもとにして論じている。金本位制の下では資本移動は自由で、非常に流動的であった。そして、現在のアメリカも資本移動の制限は行っていない。以上から、Obstfeld(1986)は、アメリカにおける投資と貯蓄との間の相関が強さは、金本位制下でのイギリスの場合と同様に、資本の流動性の低さを示すものではないと論じている。けれども、アメリカへ向けて資本を輸出する国の側で資本移動の制限をしている場合、アメリカは海外からの借り入れで貯蓄不足を補うことが出来ないので、貯蓄率と投資率との間に強い相関が見られることだろう。この場合には、相関の強さが十分に資本の流動性の低さを示していると思われる。もし、Obstfeld(1986)の論が正しければ、世界の金融市場の自由化がすすんだ79年をさかいにして、Frankel(1991)の得たような相関の強さが弱まった結果が見られたはずがない。相関が弱まった理由は海外からの借り入れが容易になり、資本の流動性が高まったからだと思われる。であるなら、それ以前の相関の強さは、資本の流動性の低さを十分に示していたと思われ、貯蓄と投資との相関の強さは資本の流動性を指標であると考えられる。)。資本の流動性を決定づける主要因は、国の大きさ以外の何かであると思われる。
3.3 経常収支と貯蓄の関係についての再考
FHの三つ目の問題点は、経常収支と貯蓄との関係を誤解している点である (この小節は、Caprio(1984)を参考にしている。)。FHは、
CA(経常収支) = S - I ..........(1)
(1)式を用いて、貯蓄と経常収支との関係を調べることで、間接的に資本の流動性を計ろうと試みた。もし、資本移動が自由な世界なら、貯蓄の増加分は高い収益率を約束する国へと流出していくため、国内貯蓄と国内投資との間には関係が見られることはない。一方で、海外への資本の流出は経常収支を変化させるため、経常収支と貯蓄率との間には強い相関が見られることになる。逆に、もし資本移動が制限された世界であったなら、国内貯蓄の増加分は国内投資を増加させるだけであり、経常収支は不変なままであろう。この場合、相関はまったく見られないことになる。以上が、経常収支と貯蓄率の関係に対するFHの解釈である。
ところが、(1)式は、貯蓄主体を政府と民間とに分けることで、次の様に変形することが出来る。但し、Tは税収、Gは政府支出、Spは民間貯蓄、Ipは民間投資である。
CA = (T - G) + (Sp - Ip)..........(2)
(2)式から分かることは、経常収支の構成要素には民間だけではなく、政府も含まれている点である。ということは、もし政策担当者が経常収支のバランスを至上命題に置いているなら、たとえ民間の資本移動が流動的であったとしても、財政規模の拡大縮小によっては経常収支はほとんど動かない可能性が十分に考えられる (資本移動が制限されていなくても、経常収支の停滞が貯蓄率と投資率との間に相関を生み出すのだと論じるものに、Coakley, Kulasi and Smith(1996)がある。)。この場合、資本は流動的であるにも関わらず、FHが得たような強い相関が見られるだろう。
この様な仮説をたてる場合に次の三つの事柄が問題となる。一つ目は、本当に経常収支と総貯蓄との間には相関は無いのかということ。二つ目は、民間の資本移動は流動的なのかということ。そして三つ目は、経常収支を均衡させる政策が現実に行われ、結果として経常収支が停滞し貯蓄との相関が弱まってしまう可能性についてである。そこで、この小節では、以上の問題点に言及し、考察を加えることにする。
(経常収支と貯蓄との関係)
FHは、以上から、ΔCA/ΔS = 0、と考えた。しかし、もし資本移動が自由で貯蓄の増分が海外へと流出するなら、ΔCA/ΔS > 0 となるはずである (Caprio(1984)を参照)。
この式を政府と民間とにわけると、
ΔCA/ΔS = [Δ(T - G))/ΔS] + [ΔSp/ΔS - ΔIp/ΔS]..........(3)
となる。(3)式から、貯蓄率が増加したとしても経常収支が動かない可能性が理解できる。つまり、資本移動が流動的に行われていたとしても、FHが得た結果が見られることもあり得るだろう。
Caprio(1984)は、実際にΔCA/ΔS = 0なのかどうかを、1963年〜81年までの41ヶ国のデータを用いて推計を行っている (Caprio(1984)は、FHのデータを用いて、独自の実証分析の信頼性を高めようともしている。結果は、FHのものと同様の結果が得られた。)。結果は、0.45であり、FHの0という結果とは大きく離れている(図表8)。Caprioの分析での興味深い点は、オイルショック時の貿易と消費水準への影響である。オイルショックによって、ほとんどのOECD諸国で貯蓄率が低下している。しかし、即座には、貯蓄率の低下に見合うように投資率が低下せず、むしろ経常収支の減少が生じたのである。つまり、経常収支が貯蓄率の低下という影響を吸収するアブソーバーの役割をしたと言える。FHの仮説が正しければ、オイルショック時に見られたような貯蓄率の変化に対応する様な経常収支の動きは説明がつかなくなる。
以上から、経常収支と総貯蓄との間に関係があることが十分に考えられるが、両者の関係が完全に弾力的で、資本は十分に流動的であると言うことも難しい。それは、ΔCA/ΔS の値が0.45と、低い値だからである。経常収支が貯蓄の減少分を吸収するのは約半分であり、残りの半分は投資の減少となってかえってきている。もし完全に資本移動が流動的であったなら、ΔCA/ΔS の値は1に近づき、貯蓄率の変化は投資率になんら影響を与えるものでは無いと考えられる。であるなら、Caprio(1984)が得た結果は、資本移動が完全に非流動的だとする仮説を棄却するだけであり、資本は完全に流動的だという仮説を全面的に支えるものではないと言うことが出来る。
(民間貯蓄と民間投資との相関分析)
この小々節の目的は、民間の貯蓄率と民間投資率との関係を見ることで、民間の資本移動が流動的かどうかを知ることにある。
FH(1980)も、貯蓄を家計貯蓄、企業貯蓄、政府貯蓄とに分解して、総投資が全ての貯蓄の構成要因に反応するのかを分析している。FHは、OECD諸国のうち9国のデータを用いて分析を行った。もし、総投資が貯蓄のどの部分の変化にも同様に反応するのなら、民間の資本移動がそれ程流動的には行われていないと考えることが出来る。それは、もし資本移動が流動的ではない世界なら、企業の貯蓄に頼れなければ家計の貯蓄に頼ろうとするなど、頼る対象を国内の貯蓄主体の中でシフトして行き、結果としてどの貯蓄の構成要因に対しても同じような反応をすると考えられるからである。結果からは、総投資への貢献度は全ての種類の貯蓄とも同じ様な値が得られている。
さらに、投資を民間投資に限定した場合、企業の貯蓄率に強く反応することがわかった(図表9)。以上から、FHは資本は流動的であるとする仮説に反するとの結論を出している。
一方で、Yamori(1995)は、為替プレミアムを排除するために日本国内のデータを使い、民間投資をさらに分解して民間設備投資を被説明変数として推計を行っている。 (政府の影響を排除するためである。)この場合、FHの結論とは違い、相関は見られていない。Yamori(1995)の結果から、民間の設備投資へは非常に流動的に資本が流入していると考えられる。
さらに、Bayoumi(1990)も、10ヶ国のデータを用いて回帰分析を行っている。 (1960-86年の間のデータで、アメリカ・ドイツ共和国・イギリス・フランス・カナダ・ベルギー・フィンランド・ギリシア、である。そして1965年から86年のデータで、日本とノルウェーである。)政府部門と民間部門とに分け、民間の設備投資を被説明変数にした場合、民間部門ではほとんど相関は見られなかった。また、政府貯蓄と民間投資との間にも関係は見られていない。結果から、民間の設備投資と総貯蓄とは独立的に動いており、総貯蓄と総投資との間にある様な相関は無いと考えられる。
以上の結果から、民間の設備投資に対しては、非常に流動的に資本が流入していると言えるだろう。けれども一方で、民間の総貯蓄と総投資との間には、強い相関が見られているのである。
(政策の効果)
Bayoumi(1990)は、政策による資本移動の制限によって貯蓄率と投資率との関係が強まる可能性を見るために、金本位制の頃と変動相場制へ移行した後のデータとを比較している。金本位制の頃は資本移動に対する政府の介入が弱かった時期であり、当時の貯蓄と投資との相関を求め、もし当時のβの値も1に近ければ、当時から現在にかけて政府の行動や資本移動に関する制度の如何に関わらず資本移動が流動的には行われてこなかったと考えられる。逆に、βの値が0に近ければ、現在見られている相関の強さには政府の影響が働いていると部分があるのではと解することが出来る。この様に考えられるのは、一つ目に、資本の流動性それ自体は、全ての条件が一定なら時代が変わろうと不変なものであろうと考えられるからである。そして二つ目には、政府の介入が弱かった時期に投資と貯蓄の間に強い相関が見られたならば、資本移動が制度的には自由でも実際には流動的には行われない可能性があることをそれが示唆していると考えられるからである。
結果は、金本位制下では貯蓄と投資との間にはほとんど相関は見られなかった(図表10)。よって、現在投資と貯蓄との間に相関が見られるのは政策の効果による部分があると考えることが可能である。
政府の介入も為替リスクも無い時代には相関は見られなかったが、為替リスクも政府の介入もある現代では相関は見られている。もし資本の流動性が時代時代で不変なものであるなら、投資と貯蓄との間に見られる相関は、政策の影響である可能性が十分に考えられる。
さらに、政府の影響に関して、Obstfeld(1986)は固定相場制と変動相場制の前後で相関の度合いが変っているかを調べている。というのも、変動相場制への以降を契機に、制度的な資本移動への障壁が取り除かれ、また貿易額が大幅に上昇したからである。この時期に政府による介入が減少したなら、投資と貯蓄との相関の強さにも影響があったはずである。つまり、この時期における相関係数の変化分は政府の影響であったと説明づけることが可能になる。結果は、ほとんどの国で相関係数が減少したことが確認された(図表11)。以上の分析から、政府の影響は十分に存在すると考えられる。
しかし、だからといって、貯蓄と投資との相関の全てが政府の介入の結果だと言うことは無理がある。それは、たしかに変動相場制へと移行した後も金融市場では規制緩和が進められ、その進度に伴うように相関係数は下がってきてはいるものの(図表12) (Feldstein and Bacchetta(1991))、まだまだ流動的であるとは言いがたい結果が得られているからである。よって、金融市場での規制緩和で説明出来ない部分は、それ以外の要因による影響であると考えられる。
また、資本の純流出を制限するために、貯蓄超過が生じた場合に財政赤字を拡大することによって超過貯蓄分を吸収し、経常収支を一定枠に収めようとすることも考えられる。もし超過貯蓄の度合いによって政府支出を変化させるなら、貯蓄と経常収支との間には相関が見られなくなる。けれども、それ程説得力のある説だとは思えない。 (この部分は、Feldstein and Bacchetta(1991)によっている。)それは、一つ目に、政府の支出を決定するのは、貯蓄と投資の差額によってではなく、政治的な、歴史的な観点からだからである。貯蓄超過だから政府支出を拡大しようという動きは、限定的であると思われる。そして、二つ目に、政府支出の額を決定するのは単年度という短期的な視野からであり、長期的に貯蓄超過だということが長期的に政府赤字が継続する理由であるとは思えない。もし、恒常的に政府赤字が続いていて、結果として経常収支が停滞していたとしても、それは政府支出が民間投資をおしのけるクラウディングアウトによるためであって、経常収支を政策によって一定枠に収めようとしていることを示しているものではないと思われる。そして、クラウディングアウトが生じるということは、資本の流動性が低いためであると考えられる。
最後にまとめるなら、たしかに政策の影響はあるものの相関の強さの全てを説明できるわけではなく、他の要因による影響も十分に考えられる。 (政府の行動によって資本が流動的では無いような結果が出る可能性として、資本統制の他に非市場性の資本取引や外貨準備などがある。くわしくは、大倉(1996)を参照。)
(むすび)
経常収支と貯蓄率との間にはある程度の弾力的な関係が見られ、さらに民間の設備投資へは資本が流動的に移動している結果が得られている。一方で、政策の影響から総貯蓄率と総投資率との間に強い相関が見られる可能性が高いことも確認されている。
しかし、相関の強さがすべて政策の影響であるとは言い難い。相関の要因の内のある程度の部分は政策の影響による可能性は高いが、相関の強さを説明づけるには、資本の流動性を低める他の要因をも考慮にいれた上で総合的な判断をしなければならない。それは、経常収支の変化によって貯蓄の変化を説明出来る部分は半分程度であるからである。この事から、まったく資本は非流動的だとは言えないものの、資本の流動性は一般的に考えられているほど高くはないと思われる。
また、民間の投資と貯蓄との間には強い相関が見られなかった一方で、民間設備投資と貯蓄との間には相関は見られなかった結果からは、次の二つの事柄が考えられる。一つ目は、資本は流動的だが、民間の設備投資に在庫投資を加えると何かの影響によって投資と貯蓄との相関は強まる可能性である。そして二つ目は、民間の設備投資を被説明変数とした場合相関は見られないが民間投資と貯蓄とでは強い相関が得られているという一見矛盾した結果の背景には、計測上の不備や統計手法自体に問題があるのではとう可能性である。 (Dekle(1995)は、民間の貯蓄と投資とを用いて推計をする場合、非常に注意が必要であると述べている。)
けれども、一つ目の可能性は薄いと思われる。それは、民間設備投資には資本は流動的であるが在庫投資へは非流動的であると考えることが、論理的に無理があるからである。さらに、この小節での議論を踏まえるなら、資本移動がある程度は非流動的であるとの結果が得られており、民間貯蓄と投資の相関も資本の流動性の低さを表していると思われるからである。
まとめるなら、FHと同じように資本の流動性に疑問を投げ掛ける結果が得られたが政策の影響も十分に考えられ、さらに経常収支と貯蓄率との間にもある程度の弾力的な関係も見られていることから、彼らの結果ほど強いものではない。
3.4 貯蓄と投資の両方へ影響を与える要因の可能性について
この小節では、最後の問題点を考えてみる。 (この部分は、FH(1980)を参考にしている。)FHは、経常収支を指標にしても分析を行っている。資本移動が自由な世界であるなら、貯蓄の増分は高い収益率を約束する国へと流れていくため、国内投資との間に相関は見られない。この場合、ISバランスから、貯蓄と経常収支との間には強い相関が見られるはずである。そして、貯蓄率と輸出率、輸入率との関係を見ることで貯蓄の変化が経常収支の変化をもたらすのかを調べ、それをもとに資本の流動性を計ろうとしたのである。
しかし、貯蓄と投資の両方へ影響を与えうる構造的な要因が存在する場合、たとえ資本移動が自由であったとしても、投資率と貯蓄率との間に強い相関が見られ、経常収支が一定になる場合も考えうる (この部分は、Obstfeld(1986)を参考にしている。)。FHはこの点を見落としている。たしかに、その様な要因が投資と貯蓄の両方へ同一な影響を与えた場合、両者の間に強い相関が生まれる可能性は高い。しかし、この事は、貯蓄の増分が必ずしも投資を増加させることを意味することではない。それは、経常収支の停滞という結果は同じであったとしても、その結果を生み出した原因は投資と貯蓄とに共通な要因による共変動であって、資本の流動性が低いために生じたものではないからである。 (つまり、この場合は国内投資を増やす目的で貯蓄率を上昇させようとする政策は、無効であるということになる。)
そこで、この小節では、投資と貯蓄の両方へ同じように影響を与え、擬似的な相関を生み出す要因の可能性を考えてみる。
(投資と貯蓄に共通な要因)
FHは、ライフサイクルモデルをもとに、貯蓄率の水準に影響を与える要因を探している。けれども、ライフサイクルモデルとは、長期的に投資と貯蓄の両方へ影響を与える要因を把握しようとするものである。 (Obstfeld(1986))よって、FHが考え出した貯蓄率に影響を与える要因は、当然投資へも影響を与え、結果として両者の間に強い相関が見られたとしてもおかしくは無いことになる。 (理論的なライフサイクルモデルを用いてFHが得た様な結果が見られることは、Buiter(1981)によっても実証されている。)
Obstfeld(1986)は、人口増加率の上昇は貯蓄率と投資率の両方を上昇させるので、資本移動が完全であったとしても、両者の間に相関が見られる可能性があるとの結論を出している。単純ななライフサイクルモデルによれば、貯蓄率は人口増加率の増加関数である。 (コブ・ダグラス型の生産関数から、人口増加率の上昇は、経済成長率を押し上げる。そして、経済の成長率が速いペースの場合、生産年齢人口が貯蓄を行う額に対する高齢者が貯蓄を取り崩す額の比率は低くなるからである。)そして、投資もまた貯蓄とは違う意味において、人口増加率に依存している。 (古典派の理論で言うなら、人口増加率が上昇することは、生産年齢人口上昇率を高めることになる。そして、資本装備率を一定に保つために、人口増加率に合わせて投資率を高める必要があるからである。)Obstfeld(1986)は、以上の様な理論が実際に妥当するのかを分析し、成り立つことを実証している。そして、人口増加率の上昇によって生み出された相関を、資本の非流動性ではなく、労働者の非流動性が原因であるとしている。また、Obstreld(1986)は、時系列で見れば生産性の向上が貯蓄と投資との間に相関を生み出す可能性も指摘している。 (彼は、生産性の向上が名目賃金の上昇を生み出し、全ての条件が等しければ理論的に貯蓄が増え、投資も増えると述べている。以上から、貯蓄率と投資率の理論値を求め、実証分析を行っている。)そして、実証分析の結果、投資と貯蓄との間に強い相関が見られた。この相関も、労働の非流動性が原因であると帰結している。
(むすび)
以上から、投資と貯蓄とに共変動が起る可能性は理解できる。しかし、労働の非流動性が全ての相関の原因であるとするのは、少し強引であると思われる。逆に言うなら、Obstfeld(1986)の結論が正しいとしても、相関の強さが資本の流動性を表すものではないと言いきることは出来ない。
その理由として、一つ目は、労働の移動性は十分に高いと思われるからである。そして、二つ目には、投資と貯蓄の両方へ影響を与える要因によって両者の間に共変動が生じ相関が生まれるという理論は、一つの可能性でしかないからである。たとえば、世界中の長期の実質金利は裁定作用が働いて平準化していはいないし、国内企業の株式の所有者は依然と国内の投資家が中心を占めている。 (Roger(1994))投資と貯蓄とに共変動を引き起こす要因や労働の非流動性などでは、投資と貯蓄との強い相関を説明することは出来ても、長期金利に裁定作用が働かないことを説明することは出来ない。それは、もしObstfeld(1986)の仮説が正しく資本が流動的であったのなら、長期金利にも裁定作用が働くはずだからである。さらに、Feldstein and Bacchetta(1991)は、Obstfeld(1986)の手法を踏襲し、経済の成長率と所得分配率とを説明変数にして実証分析を行っている。結果は、投資と貯蓄の理論値を用いた場合はObstfeld(1986)と同じ結果が得られたが、実績値を使った時には投資の変化を十分に説明することが出来なかった。 (Feldstein and Bacchetta(1991)は、理論的には正しいことでも、実際には正しく無いこともあると述べている。また、Feldstein(1983)では、時系列による回帰分析よりも、横断面による回帰分析の方が資本の流動性に関する仮説を検証する場合は望ましいと言っている。)そして最後に、Dekle(1995)によれば、日本には単純なライフサイクルモデルが成り立たないことが明らかにされている。であるなら、Obstfeld(1986)の論自体が、全ての国に当てはまる訳ではないということになる。
結局、投資と貯蓄の両方へ影響を与える要因だけでは、相関の強さを完全に説明づけることは出来ない。それらが投資と貯蓄との間に強い相関を生み出す可能性がるとしても、その相関が資本の非流動性を表すものでは無いと言いきることが出来ないからである。このことは、次の二つの内のどちらかを意味すると思われる。その一つは、現在調べていない要因によって相関が生み出されているということ。そしてもう一つは、資本の流動性は何かの原因で低くなっているということである。
3.5 まとめ
この節では、FHが行った実証分析では考慮に入れられなかった要因が、投資と貯蓄との間に相関を生み出すのかについて見てきた。つまり、FHが得た相関の強さを説明する要因は存在するのかについて議論したのである。
結果は、FHが考慮に入れなかった要因を加えたが、資本の流動性が低いために投資と貯蓄との相関が生まれるとするFHの結論を覆す様な要因は得られなかった。それは、資本の流動性へ直接的な関係を持たないと思われる要因では相関の強さを説明することは出来なかったが、資本の流動性へ直接的な影響を与えると思われる為替リスクや政策などの要因によっては、相関の強さをある程度説明する結果が得られたからである。けれども、一方では経常収支が貯蓄率の変化に対応するなど資本の流動性の高さを示す結果も得られており、資本の非流動性の強さはFHが示した程には強くはないと思われる。
では、資本の流動性を低いものにするのは、何であろうか。為替リスクが影響を与えたのは、直接的な資本移動ではなく、投資家の選択行動である。短期的にしても長期的にしても、資本移動が投資家の選択によってなされるのであれば、資本の流動性を低くする要因は、投資家の行動へ影響を与えるものだと考えられる。また、政策を通じて民間の資本移動を制限しようとする場合も、直接的に規制するのは、投資家の対外資本取引であると思われる。であるなら、長期的に資本の流動性が低まるのは、投資家に原因があるのではと考えられることになる。
それでは、何が投資家の長期的な行動を左右する要因なのであろうか。それは、様々な資産取引にかかるリスクであると思われる。例えば、国内で株式を買う場合、株価が変動するというリスクを負うことになる。海外資産を買う場合には、国内資産に見られるリスクに加えて海外資産特有のリスクが投資家のポートフォリオ選択に影響を与え、結果として資本の流動性が長期的に低まることになっていると思われる。よって、次節では、為替リスク以外のリスクや政策による制度的な対外資本取引の制限によって投資家の資産選択行動がどれ程影響を受けるのかについて論じることにする。
4 投資家の選択行動:なぜホームバイアスがかかるのか
投資と貯蓄との間に見られる相関の他に、世界中の長期の実質金利に対して裁定作用がどれ程働いているかを比較することでも、資本の流動性を計ることが可能である。Montiel(1994)は、カバーつきの金利平価を指標にして、資本の流動性を計っている。もし資本移動が流動的であるなら、世界中の資産の収益率を平準化する様に裁定作用が働くはずである。
たしかに、資本移動が自由でリスクの無い世界で、しかも投資家が国内の短期の利子率と長期の利子率との間に裁定作用を引き起こすなら、長期的に見た世界中の名目利子率も平準化することだろう。しかし、金融資産に投資をする者にとって重要であるのは、名目利子率ではなく、実質利子率の方である。つまり、外国資産と国内資産を比べる場合、実質的な収益率を指標にして決定を行うのである。よって、国内資産と海外資産との間にある実質的な収益率の差異を正確に知るすべがなければ、裁定作用がうまく働く可能性は低くなると考えられる。そして、名目的な収益率以外で実質的な収益率に影響を与えるものは、様々なリスクであると思われる。
さらに、長期的に見れば、国内資産と海外資産との間にあるリスクの差異は否定できない。投資先国のインフレや税制の変化、為替変動などのリスクによって、投資家にホームバイアスがかかることになる。それは、海外の資産には海外資産特有のリスクがあると考え、国内の資産を高く評価するからである。リスク回避の投資家が多ければ多いほど、ホームバイアスは強くなる。結局、たとえ投資家は好きな所へ投資する自由が与えられていたとしても、世界中の実質利子率が平準化するとは限らない。それは、投資家が自分の収益を最大にする様に行動をするというのは、一つの可能性でしかないからである。
また、海外資産に対するリスクがホームバイアスを生み出させ、結果としてポートフォリオにおける多様性は失われることになる。French and Poterba(1991)によると、世界の五大証券市場での自国企業の株式を保有する主体はほとんどが国内投資家によって占められているのである。 (例外は、サッチャー政権下での資本統制に対する大幅な規制緩和のあったイギリス。)そして、対外資産取引の総金融資産取引に占める割合は、非常に低い値を示している(図表13) (Tesar and Werner(1995))。様々なリスクの存在がポートフォリオにおける多様性を失わせ、結果として長期の実質利子率に裁定作用が起らなくなる。よって、ポートフォリオにおける多様性を失わせる要因を調べることで、長期的に資本が流動的では無くなってしまう理由を知ることが出来るのではないだろうか。
そこで、この節では、ポートフォリオにおける多様性を失わせる要因について論じることにする。その様な要因について論じる意義は、これ迄資本は流動的かどうかを中心に論じてきたが、直接資本を動かす投資家の選択行動を知ることも、資本の流動性を知る上で重要であると思われるからである。では、なぜ投資家は長期的に自国の資産市場を好むのだろうか。リスクの存在をもとに論じることにする。
4.1 投資選択への影響:政府の行動
前節までの議論から、政府の行動によって資本取引が影響を受け、貯蓄と投資との間に相関が生まれる可能性が高いことが明らかになっている。そして、直接的に対外資本取引を制限する政府の行動としては、資本統制が挙げられる。例えば、フランスやイタリアでは、1986年まで個人が貯蓄を海外へ移転することが禁止されていた (Gordon(1994))。しかし、Lewis(1994)は、たしかに金融市場での規制が強い国の投資家ほどホームバイアスが強まると考えられるが、それは途上国においては十分に妥当性のある説明ではあるけれども、先進国では資本統制はまれであり説明力を持たないと、論じている。
一方で、政府が資本統制を実現するために投資家の選択行動へ間接的に影響を与える方法として、次の二つが考えられる。一つ目は、税制による統制である。外国からの金融資産からの収益に高い税率をかけることや、逆に自国の金融資産からの収益へは低い税率にすることで、間接的に資本の流出を防ぐことが可能になる。二つ目は、金融市場におけるグローバル化の不完全性によって高まる取引コストが、結果的に資本の移動を妨げる場合である。金融市場の不完全性が政府のとる規制や保護によって生じたものであるなら、意図的に資本の移動を妨げようとしているのではないにしても、政府の行動によって資本移動に影響が与えられていると考えることは可能である。以下では、この二つの要因について論じることにする。
(税制の効果)
資本移動を制限する理由の一つに税収が挙げられる。 (FHも最適な税制に強い関心を持っている。)例えば、その国が国際資本課税として源泉地主義をとっている場合、国内貯蓄の増分が海外へ流出してしまうと、国内投資に用いられた場合と比べて資本の蓄積が減少するために税収が減ることになる。一方、投資家の側から見れば、源泉地課税主義をとる国の内で資本が生み出す利益に対する税率が高い国にはあまり投資をしたがらない。結果として、海外からの資本の流入が減少し資本の蓄積が進まず税収が増えないことになる。よって、政策担当者にとって、税収が最大化する様な税率を定めることが重要な課題になってくる。
税率を操作することで税収を最大化する方法に、国内の債権から得られる収益に対しては低い税率をかけ、海外の株式からの収益には高い税率をかける方法などがある。こうすることで、国内から海外への投資を移動させようとするインセンティブを削ぐことが出来る。
けれども、ほとんどの先進国では、海外からの移転収入にも国内における収入にも、同じような税率が課せられている。 (『EU加盟国の税法』1997年を参照。)特に、多くのEU諸国では海外からの移転収入に対する二重課税を防ぐために外税控除制度を取り入れている。 (例外はイギリスで、ほとんどの国が海外と国内とを差別していないにも関わらず、内国法人からの配当には非課税にし、外国法人からの配当には課税するという風に、差別的な対応をしている国もある。)そして、1988年に欧州理事会は、全加盟国の為替管理を全て撤廃し、資本移動を完全に自由化する「資本移動自由化第4号指令」を採択した。 (この部分は、『EU加盟国の税法』によっている。)欧州委員会は、資本移動の自由化のために次の三つの側面から直接税制度が検討されなければいけないと認識している。一つ目は、各国の法人税制度の調和。二つ目が利子に関わる税金回避の防止。そして、三つ目は、差別的税制の撤廃である。 (投資家に対する資本の誘致を目的とした優遇税制を撤廃すること。)以上の様に、税制によって資本移動が制限されるように投資家へ影響を与える可能性はあるものの、ほとんどの先進国では見られておらず、限定的であるといえる。
さらに言うなら、たとえ移転所得を不利にするような税制がしかれていたとしても、直接投資への効果は小さいと思われる。それは、一つ目に、ほとんどの対外投資は多国籍企業による直接投資の形態をとっており、そしてそれらの目的は、金融資産からの収益を得るためのものが少なく、特定の地域に関する知識の獲得や貿易上の問題の回避など、海外資産からの収益とは直接的には関係の無いもので多くが占められているからである。 (FHは、直接投資として資本が移動する。すると被投資先国の貯蓄率が上昇する。そして、そこでの収益は自国へと送金するものではないので、更にそこで投資がなされ、貯蓄率と投資率との間に相関が生まれると論じている。)そして、二つ目には、多国籍企業は資本移動を制限する目的の税制の対象外だからである。 (Gordon(1994))であるなら、もし税制のために個人投資家や様々な基金などが得ることの出来ない投資機会があったとすれば、企業が代りに手に入れるはずである。
ただ、多国籍企業の形態によって、税制の影響を受ける場合も考えられる。 (この部分は、Boskin and Gale(1987)を参考にしている。)例えば、母国の親会社から送金を受ける成熟していない子会社の場合、母国の税制の影響を受けてしまう。けれども、この様な事態はまれであると思われる。それは、ほとんどの多国籍企業が、母国からの送金を受け取らない成熟した企業だからである。 (アメリカを例にとるなら、対外直接投資の70%は成熟した多国籍企業である。)だとすると、やはり税制の影響は限定的であると言えるだろう。
けれども、小西(1992)は、母国や投資先国の国際資本所得課税のタイプによって、国際資本移動に対する影響が違ってくるとし (定型化されたタイプとして、源泉地主義課税、居住地主義課税、資本輸出税、資本輸入税の4つがある。)、そして、資本の輸出国にしても輸入国にしても、自国の税収にとって有利な税制をとろうとするインセンティブが強まると論じている。結果として、外税控除制度などもうまく機能せず、税制によって資本移動が流動的に行われるのを妨げられている可能性は十分に考えられると述べている。
まとめるなら、税制をもってして資本移動を明示的に制限する形態は、先進国の間では余り見られていない。また、たとえあったとしても、直接投資を目的とした資本移動へ与える影響はそれ程大きくはないと言える。けれども、海外資産からの収益を目的とした対外資本取引への影響は十分に考えられ、税制による投資家の選択行動への影響は、ある程度はあると思われる。
(取引コストの効果)
投資家の選択行動へ影響を与える政府の行動として二つ目に、海外資産を取引する際にかかる高いコストが考えられる。 (取引コスト以外にも、外国人の所有する資産の没収などが考えられるなら、非常に高いリスクを考慮に入れなければならないし、資産の流動化も困難になると考えられる。それは、もし、危険回避型の投資家であったなら、没収などの政府行動が度々行われる国の資産保有は手控えるものと思われるからである。けれども、資産の没収などの政府行動は、発展途上国ではありうるとしても、先進国では投資家の行動へ影響を与えるとは考えがたい。先進国では、没収などは行われてはいないからである。この部分は、Gordon(1994)を参考にしている。)政府の規制や保護によって金融市場での不完全性が生まれ、国内資産の取引に比べて海外資産の取引にかかるコストの方が割高になり、結果としてホームバイアスが生じる可能性が考えうる。それは、投資家が国内資産に比べて海外資産を取引する場合には高いコストがかかると考え、資産の状況に応じた組替えや流動化が困難になるとの判断から海外資産を回避しようとするからである。また、単純に、海外の投資家が支払うのと等しいコストでは海外の資産を保有することが出来ないという理由から、海外資産の魅力が下がり、ホームバイアスがかかることも想像できる (Lewis(1994))。取引コストが高すぎる場合、取引自体が行われない可能性も考えられる。 (また、経済企画庁(1997)は、取引コストのために投資家の対外投資機会が制約されて海外資産の保有が減少することから、投資家が得る効用が減少することを検証している。(図表14))
しかし、次の二つの理由から、取引コストのために海外資産を流動的に取引することが困難になるとは考えがたい。その一つ目の理由は、5大証券市場で考えた場合 (この場合の5大証券市場とは、アメリカ、イギリス、カナダ、ドイツ、日本のことである。)、国内株式の回転率よりも海外株式の回転率の方が高い値を示しているからである(図表15) (Tesar and Werner(1995))。もし、海外資産の取引にかかるコストの方が高くつくと考えるなら、理論的にも現実的にも海外株式の回転率は低い値を示すはずである。けれども、実際には海外株式の回転率は高い値を示しており、取引コストが海外資産の流動性を低めると考えるのは困難である。であるなら、ホームバイアスへの取引コストの寄与度は小さいと考えるのが妥当である。 (このことは、海外資産を国内資産に比べて多く保有していることを意味するのではなく、海外資産の取引が取引コストに関わらず流動的に行われていることを意味するにすぎない。この節の冒頭で述べたように、海外資産の総資産において占める比率は非常に低いのである。)
二つ目の理由は、取引コストが資産の流動性を低めるとしても、その取引コストがある国の投資家が自国の市場に特化する理由にはならないからである。 (この部分は、French and Poterba(1991)によっている。)海外資産の流動性の低さが原因であるなら、投資家が求める市場はより流動性の高い市場であって、国内市場ではない。そして、ニューヨーク市場などは十分に流動性の高い資産市場であると思われる。にも関わらず、ほとんどの投資家が自国の金融市場に特化する理由を、取引コストだけで説明づけることは不可能である。
以上をまとめるなら、高い取引コストが海外資産の魅力を引き下げホームバイアスを生み出す可能性は考えられるが、投資家の選択行動へ影響を与え、ポートフォリオにおける多様性を失わせる原因としては、他の要因も存在するため、総合的な判断が必要であると思われる。
4.2 投資選択への影響:情報の非対称性による影響
以上見てきた投資選択に影響を与える要因は、政府の行動の結果生じる外生的なものであった。けれども、ホームバイアスを生み出す要素は、市場の中で作られる内生的なものも存在する。例えば、得たいの知れない人から物を買う場合と良く知った人から物を買う場合とでは、取引にかかるリスクは違ってくる。それは、買った商品が不良品だった場合に、コンビ二で買ったテレホンカードなら文句を付けられるが、道ばたの非合法的な売人から買ったものでは文句の付けようが無いことからうかがえる。また、行商人から商品を買う場合とデパートで買う場合とでも、やはりリスクは変ってくる。それは、返品しようとした時に、行商人から買った時には出来ないからである。
これらのリスクは全て、売り手と買い手との間の情報量が等しくないために生まれる。もし、買い手の方も売り手ほど商品に対する情報に熟知していたなら、デパートで買おうと道ばたで買おうと取引にかかるリスクは等しくなる。しかし、実際には両者の情報量は非対称的であり、知らない相手から物を買う場合に、買い手の方が高いリスクを背負わなければならない可能性が高い。そして、以上の様なリスクを最小限にする様に、人は出来る限り知った間柄での取引を好む。 (Ben-Porath(1980)は、取引コストがあるために、特定の人や地域との取引に特化して行くと述べている。)
取引にかかるリスクの考え方は、 物の売買だけではなく、投資などの場合にも十分に当てはまる。 (以下は、Gordon(1994)を参考にしている。)他国の資産を購入する場合、投資家は、投資先国の投資家に比べて、情報の面でハンデを負っている。例えば、投資先国の税制や政策転換、インフレ率などの他にも、企業の債権を買う場合には、その企業のパフォーマンスが重要になってくる。けれども、地元の投資家達が得ている程の情報を得られる保証はどこにもない。それは、自分自身が地元の情報には精通している様に、彼らもまた地元の事情を熟知しているからである。
たしかに、外国の資産を購入する時には、大抵地元の人間を雇って相談をすることだろう。よって、地元の投資家との間の情報量の差は、ある程度狭まるとは思われる。けれども、どの人間が地元の投資により優れた人物であるかは、計るすべはない。結局、地元の人間を雇ったとしても、根本的な情報の非対称性によるリスクは残ることになる。
これら、国内外の投資家間での情報の非対称性によるリスクの相違が資本移動に与える影響は大きいと思われる。そして、結果として、自国の資産に特化することになり、自国の証券市場は国内の投資家で占められるのではないだろうか。それは、一つ目に、海外の資産を購入する場合に、情報が余り無いので、投資家は高いリスクプレミアムを要求するからである。そして、そのリスクに見合うだけの資産が無ければ、買う理由などどこにもない。よって、自国の資産を保有する外国人の割合は低くなることになる。そして、二つ目には、海外の資産の魅力が、国内の資産に比べて低いことが挙げられる。 (French and Poterba(1991))この理由としては、先ほどから論じているリスク以外に、統計学上の問題が考えられる。例えば、自国の資産を購入するか他国の資産を購入するのかを決める場合、リスクを考慮に入れた上での資産同士の期待収益率を比較することになる。けれども、まずリスクがどの程度なのか数値化することは難しく、リスクの感じ方も個々の投資家で異なっている。そして、資産自体の期待収益率を計算することも困難なのである。よって、たとえ自国の資産以上の収益を約束する外国資産があったとしても、それを知ることは非常に難しいことになる。
これらの理由が投資家の選択行動へ影響を与え、自国資産に特化する原因になっていると思われる。結果として、長期的な資本移動はそれ程流動的ではない状態になっていると考えられる。けれども、実際に情報の非対称性がどれ程ホームバイアスを生み出させているのかを検証したわけではない。よって、実証分析に関しては、今後の課題としたいと思う。
4.3 まとめ
この節で述べたかった事は、資本が流動的では無いためにホームバイアスがかかるのでは無く、ホームバイアスがあるために資本の流動性が低下するのだということである。そして、資本の流動性を低める原因を知るためには、ホームバイアスを生み出す要因を知る必要があるということである。
ホームバイアスが生まれる原因は、様々なリスクであった。しかも、そのリスクの中心にあるのは、政策的な意図を持ったものでは無く、市場の中で意図せずに形成されるものなのである。つまり、資本が非流動的になってしまうのは、政府の行動による直接的な資本制限によるよりも、リスクを回避しようとする投資家の合理的な選択行動の結果であるといえるだろう。
であるなら、たとえ資本の移動を制限する制度が撤廃されて行ったとしても、資本の流動性が高まる保証はどこにも無い。もし、政府が資本の流動性を高めたいと願うならば、各国の金融市場の統合を進め、それぞれが所有する金融資産に関する情報の開示を促し、情報インフラを構築して、地元の人間と外国人との間の情報量の差異によるハンデを減らして行く必要があると思われる。
5 結論
5.1 政策提言:資本の国際的移動性の意味と政策のあり方
これまで資本の流動性に関して論じてきた。けれども、なぜ資本は流動性を確保しなければならないのかについては、述べていない。この小節では、高齢化社会の到来と日本の金融機関の状態の二つに分けて、論じてみたいと思う。
冒頭でも述べたように、今後日本には、これ迄どの先進国も味わったことのない程の高齢化社会が訪れると言われている。 そして、貯蓄率が下がり、投資率も下がるだろうと言われている。けれども、資本移動が流動的であるなら、国内貯蓄で賄えない分は、海外からの借り入れで補うことができるはずである。しかし、もし資本が流動的では無かったなら、海外からの借り入れも困難であろうと想像され、貯蓄率が下がる割合で投資率も下がってしまうことだろう。
また、資本の流動性の意味には、外国からの自由な資本の流入に加えて、外国への資本の流出も含まれる。そして、国内に対する投資だけはなく、海外に対する投資も流動的に行わなければならないと考える。それは、たしかに対外直接投資という形で多くの投資が行われてきたが、今後必要となるのは、内外における多様な資産投資であると思われるからである。 (これは、別に対外直接投資が必要ではないと言っているのではなく、対外資産投資をこれまで以上に増やすべきだと言っているのである。)その理由として、一つ目に、国際分散投資を行った方が高い効用が得られるという理由が挙げられる。経済企画庁(1997)は、国際的に資産を分散した場合にどれ程投資可能性が広がり投資家の効用が高まるかを検証している。結果からは、国内ポートフォリオのみに限定する場合に比べて、国際分散投資を行った方が高い収益率でもリスクの上昇の程度が相対的に緩やかになり、高い効用が達成可能なことが明らかになっている(図表16)。
二つ目の理由は、様々なリスクに対する資産の保全のためである。 (この部分は、ナッシュ(1997)を参考にしている。)資産の保全とは、保有資産の経済的購買力の保全のことを意味する。例えば、海外の資産を保有していたとして、その投資先国のインフレ率が自国のそれよりも高かったり、また為替レートが切り下がったりした場合、海外資産を自国の通貨に換算した時の実質的な購買力が目減りすることになってしまう。この様な、資産の購買力の目減りをヘッジするためにも、国際的な分散資産運用が必要になり、流動的な海外への資産投資が望まれるのである。(分散資産運用とは、資産運用をする上でのリスクを分散することである。例えば、卵を買った場合、一つの籠に入れて運ぶよりも、幾つかに分けて運んだ時に方が全部の卵を割ってしまう可能性は低くなる。詳しくは、ナッシュ(1997)を参照。また、村松・佐藤・和久本(1983)は、企業が資金調達をする際に、為替リスクをヘッジするためにも、資金の調達先を分散させることが望ましいと述べている。)
たしかに、国内の資産を保有していれば、為替レートや海外と国内とのインフレ率の差異によるリスクの影響は無いと考えられるだろう。けれども、現在の日本の金融機関は、不良債権の重みや規制緩和による競争激化によって、非常に信頼性が下がっている。そして、BIS基準という世界の銀行の安全性を計る基準によると、日本の銀行は下から数えた方が早いところに位置づけられているのである。つまり、日本の金融機関に投資をするのは、非常にリスクの大きいものになってきているのである。これ迄は、国内資産は海外資産に比べて安全だと思われてきた。しかし、今後は危険資産になる可能性も多いに考えられる。であるなら、リスクの分散やヘッジする立場から、海外資産を保有を拡大しポートフォリオにおける多様性を確保する必要が出てくるのである。
以上、二つの理由から、自由な対外資本取引が重要な課題となってくる。一つは、国内投資と経済の成長の観点からであり、二つ目は、投資家の効用の向上とリスクの分散の観点からである。両者とも、資本の流動性を低くする要因が除去されなければ、達成は困難であろうと思われる。よって、資本の流動性を確保することが、今後の政策の重要な課題となって行くことだろう。
5.2 結論
本稿では、FHの言う様に資本の流動性は低いのかどうかについて論じてきた。結論は、FHが示した程では無いにしろ資本の流動性は低いと思われ、Feldstein-Horioka Paradoxは十分に生きていると思われる。そして、資本の流動性が低くなる理由は、政府や制度によるよりも、投資家自身のリスク回避型の選択行動が有力なのではと考えられる。
たしかに、海外資産に比べて国内資産の情報の非対称性によるリスクは低いと考えられるが、これからの日本の金融機関の資産が安全であるかどうかは疑問である。であるなら、リスク回避のためにも、自由な対外資本取引が重要であると思われる。しかし、外国資産と国内資産との間の情報量における非対称性が解消され無ければ、投資家が国内資産に固執する傾向は変らないだろう。つまり、情報の差異のために、国内の投資家が高いリスクを背負い、低い効用に甘んじなければならないのである。
よって、今後資本の流動性を高めて投資家のリスクを軽減し、資本の効率的な配分をすすめるためにも、政府と金融機関とが協力しあい、積極的に情報の開示を進めていく必要がある。結論として言いたいことは、個々の企業の情報を全て開示しろということではなく、外国の投資家と地元の投資家との間にある情報の非対称性を解消することで、国内資産と完全な代替関係にある海外資産を明確にし、国際間の資産投資を活性化させるべきだということである。そして、各国の資産市場を統合し、国内金融市場の不完全性を是正していく中で取引コストの差異を軽減し、資本の効率的で最適な配分を実現していくのが望ましい。また、海外資産からの移転収入に対する税制に関しても、今後訪れる高齢化社会に対応するためにも、再検討を加える必要があるだろう。
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