以下,世銀(1993)とする.

もっとも,東アジア経済の多くは,1997年に生じた通貨危機,金融危機に直面し,自国通貨の大幅な変動を機に経済成長が減速している.けれども,通貨危機の生じた原因が,(1)外資規制の緩和や自国通貨をドルにペッグした為替政策,高金利などによって,90年代に入り大量の資本が流入したことに起因する資本収支危機であったこと,(2)企業の借り入れが間接金融による銀行からの借り入れに大きく依存していたこと,であったことに鑑みるなら,実体経済の状況が悪かったために生じた通貨危機や経済成長率の鈍化ではなかったことになる.よって,たしかに現在の東アジアの経済状況は高いパーフォーマンスを示してはいないが,それは資本収支危機が生んだ通貨危機,金融危機による一時的なものであり,高成長を実現した実体経済の強みは損なわれてはいないと考える.

購買力平価とは、世界中に一物一価を実現させる為替レートの理論値のことである.例えば、鉛筆が日本では100円、アメリカでは1ドルで売られている場合、購買力平価は1ドル100円ということになる.この様に購買力平価を貿易財と非貿易財とに分けて推定されたもとを加重平均したものが,購買力平価となる.

特に、農業部門をはじめとする伝統的産業から非農業部門や製造業へ向けた労働移動のことである.

新古典派経済成長理論を初学者にもわかりやすく説明しているものとしては、中谷(1993)、伊藤(1999a)などがある.

以下は、Barro and Sala-i-Martine(1995)を参考にしている.

Inada(1963)

式の導出には、Solow(1956)とBarro(1998)を参考にしている.

数理的展開を単純にするために、技術はハロッド中立的(労働増加的)ではなく、ヒックス中立的(産出増加的)であると仮定している.

資本と労働の成長率で説明できない経済成長部分を技術進歩による成長部分とするということは、その中には資本・労働の計測誤差などのさまざまな影響要因が含まれる可能性がある.よって、計測されたTFPを見る場合、数値自体を厳密に分析するのではなく、幅を持って解釈を行う必要がある.

標準線型回帰モデルでは、誤差項に系列相関がないことを前提としている.しかし、経済時系列データの場合、しばしば正の系列相関が見られる.この理由としては、(1)重要な変数が欠如していること、(2)データの加工によって誤差項の間に系列相関が生まれること、(3)外生的ショックの影響が1期で吸収しきれず持続すること、などが考えられる.この様な場合、(a)パラメーターの推定量が最良線型不偏推定量をとっていない、(b)t値が過大評価される、(c)決定係数が過大評価される、などの問題が生じる.最尤法やコクラン・オーカット法は、誤差項に系列相関がある時にしばしば用いられる手法である.

推計期間はすべて65年から90年の間である.

推測であるが、資本ストックの重要性が低い理由には、いまだに伝統的産業がこれらの地域にには存在して二重経済構造を形成しているからではないかと思われる.

例えば、床屋を例にとると、付加価値生産を行うにはたしかに鋏や洗髪台などの資本が必要ではあるが、もっとも重要なのは、髪の毛を切る技術とその技術を持った労働者であることから明らかである.

福田(1998)

資本ストックの推計の方法については、付論を参照.

資本ストックに占める住宅シェアのデータは、Summers and Hestom(1991)から得ている.

イタリアにおいては、あまりにも資本分配率は低下しすぎている.トレンド変数を含む回帰分析の場合には、その値はマイナスを示してさえいるのである.

この部分は、福田・神谷・外谷(1995)によっている.

詳しい説明については、世銀(1993)を参照.

例えば、Barro(1991)やMankiw, Romer and Weil(1992)などが有名である.また、この推計方法は、新古典派経済成長理論を線型近似したものとも整合的であることがわかっている.

Barro and Sala-i-Martin(1995)を参考にしている.

Barro and Sala-i-Martin(1995)によれば、β収束性はσ収束性の必要条件であることが明らかになっている.よって、もしβ収束性が成立しないならば、σ収束性が成立することもあり得ない.

基本方程式の導出は、福田・神谷・外谷(1995)とMankiw, Romer and Weil(1992)を参考にしている.

例えば,Mankiw, Romer and Weil(1992)やBarro(1991)などが有名である.

人的資本が経済成長に対して重要な位置を占めるとする研究には,Lucas(1993)やRomer(1990)などが有名である.

量的な人的資本とは,労働者数や労働時間,労働日数によりもとめられた労働投入量のことである.一方,質的な人的資本とは,労働者の教育水準や技術力,発想力などの性質を表現するものである.

Mankiw, Romer and Weil(1992)では,102#102と仮定して推定を行っている.

外谷(1998)をはじめとする,多くの研究において指摘されている.

例えば、まったく同じ就学率である2つの地域(aとb)があったとする.a地域では教育目標を四則計算の習得においていて、一方b地域のでは、微分積分の応用までを目標にしていたとする.たしかに学生による習得度に違いはあるものの、前者よりも後者の方がより高い質の人的資本を蓄積していると考えられる.

中等教育支出については,統計的な有意性が低いため,マイナスの効果を持つとは断言できない.

もっとも,このような投資は,人的資本の量的な拡大にはつながると考えられる.

なっぜこの様に考えられるのかと言えば,次の理由による.教育を通じた質的な人的資本の蓄積が社会に与える正の外部性としては,大きく分けて,(1)効率性の上昇,(2)イノベーション,などが想像される.そして,経済の発展段階に応じて,前者と後者の寄与度は違ってくると予想されるからである.というのも,経済発展が初期の段階では,読み書きが出来るとか,四則計算が出来るということ,または基本的な集団行動が出来るというだけで,一国全体の経済効率は極めて上昇すると考えられる.逆に,経済がある程度発展をした段階では,基本的な技量よりも,イノベーションを産み出すような高度な知識が必要になると考えられるからである.

世銀(1993)では,初期段階の質的な人的資本とその後の経済成長の間には,なんら関係はないとされている.本小節での分析の目的としては,1つに,この世銀(1993)の結論に関して再検討を行うことが挙げられる.

より具体的に説明すると,親の学歴が子の学歴に影響したり,友だちが塾に通っているから自分も通おうとすることなどは,この仮説と整合的な結果であると思われる.

女性の教育修学度とは負の関係にあった理由については,たとえ高い教育水準にあったとしても,その後の就職がその人的資本に見合ったものでなかった場合,その寄与がマイナスに出る可能性があるからである.

R&D投資とは,研究開発投資のことである.

世銀(1993)では,初期段階での質的な人的資本の水準は,その後の経済成長とは関係がないとしていが,ここでの結論は,世銀(1993)の結論とまったく相反するものとなった.

国際的開放度と経済成長の関係に関する研究でもっとも有名なものとして,Sachs and Warner(1995)が挙げられる.この研究の主な結論は次の4点である.(1)幾つかの例外はあるものの,多くの途上国は,インフレや債務危機などのマクロ経済に関する大きな問題に直面した後に開放経済へと移行したということ.(2)国際的開放度の高まりは,経済成長率を高める効果を持ったということ.(3)国際的開放度の高い国ほど,経常収支危機を乗り越えやすいということ.(4)特に東アジアでは,土地に対する人口密集度が,早い段階で開放政策へと向かわせた可能性が高いということ.一方,この研究に関する問題点も幾つか指摘されている.第1は,国際的開放度見る際に,途上国の経済の健全性や民間部門の信頼性にはあまり触れず,政府の貿易政策にのみに焦点を当ている点である.これは,政府の貿易政策は経済を国際経済に対して解放路線へと向かわせる最初の段階として捉え,その後に政策の改善や規制の撤廃,民間経済に対する信頼性の変化なども踏まえた上で,国際的開放度と経済成長の関係を分析する必要があるのではという考えに起因している.第2は,資本移動に関する論点に触れられていない点である.この理由は,経常取引だけではなく,資本取引が活発化することでも,政府活動の改善がもたらされ,さらに経済成長率が高まるのではと考えられるからである.

外谷(1998)

生産活動を通じた人的資源の蓄積を、learning-by-doing という.この他に、人的資源の蓄積過程には、学校教育を通じた人的資源の蓄積や(schooling)、企業内での教育や研修による人的資源の蓄積(job-training)などがある.

ここで言う直接的な効果とは,経済規模の拡大を意味している.

この点は,世銀(1993)とも整合的である.

この部分は、渡辺(1996)を参考にしている.

この議論を前提とするなら,全ての地域を含めた場合には有意な結果が得られなかったことも一部説明がつく.それは,政府主導型で輸出と輸入の両者を早い段階で解放せずに中途半端な解放を行った結果,国際的開放度の効果が限定的になってしまった可能性が考えられるからである.

民主主義と経済成長の関係を論じたものには,Londregan and Keith(1990),Alesina and Perotti(1993)がある.

以下,数字は各権利の等級を表す.(1)は最高の自由度を表し,数字が増えるごとに自由度が低下していく.

全ての条件が一定ならばと仮定して論じている.

この部分は、経済企画庁(1996)を参考にしている.

物的であるとは、他の財貨やサービスの生産に用いるために、経済システムによって生産されるもののことである.

Tomoya Horita
1999年11月02日 (火) 15時39分30秒 JST