(八)順序---緊急性はないが重要性の高いことに重点を置く


今回も前回に続き「時間」を取り上げる。そして「緊急性はないが重要性の高いことに重点を置く」というスローガンを紹介するとともに、その重要性を説明したい。

時間をどう効率的に管理するかという問題は、単に学生諸君にとってだけではなく、われわれ教員をはじめ、組織で働く人々、あるいは家庭の主婦に至るまで、現代社会では職業や地位のいかんを問わず普遍的なそして重要な課題である。このため、これに関する箴言は数多いが、それは結局のところ「まず第一にやるべきことをまず第一にやること」(First things first)につきる。その裏には、もちろん、優先度の劣ることは後回しにせよ、という意味がある。換言すれば、やるべきことはすべて優先順位を付け(prioritize)、それに従ってやるべきである、ということだ。

このことは、多くの書物に書かれていることであり、また多くの人が認識していることでもある。映画を見ていても、登場人物がその言葉を口にするのを見ることが少なくない(例えばウオルト・ディズニーの映画「メリー・ポピンズ」)。これはあまりに当然の原則である、と諸君は思うであろう。まさにその通りであり、これは大きな真理を示している。真理は多くの場合「いわれてみれば当たり前」のことが多いものである。ただ、ここでは、その大原則を踏まえつつも、より具体的な対応方法として二つの効果的な考え方があるので、それらを紹介したい。

第一に、「まず第一にやるべきこと」とは何かについて、示唆深く比較的実行しやすい一つの考え方があることである(以下の考え方は巻末文献にあるコウビー氏の書物に依存している)。そもそもわれわれの活動は一般に、緊急性がある(urgent)かどうか、そして重要性がある(important)かどうか、という二つの異なった要素をもとにして特徴づけることができる。ここで「緊急性がある」とは、直ちに対応し行動しなければならないことを指す。「重要性がある」とは、行動の結果が自分の長期的目標の達成に資すこと、ないし自分の価値観に合致したものになること、を指す。このように捉えると、われわれが日々おこなっている行動は、二×二のマトリックスを書けば明らかなとおり、(一)緊急性があり、かつ重要なこと、(二)緊急性はないが、重要なこと、(三)緊急性はあるが、重要ではないこと、そして(四)緊急性はなく、また重要性もないこと、の四つのうちのいずれかに分類できる。

 (一)の例としては、タームペーパーの提出や履修科目の申告をこれまで引延してきたため、期限最終日ぎりぎりに追い込まれてから対応すること、などが挙げられる。重要事項に緊急に対応しなければならないので、これは危機的な状況である。だから、それ以外のすべてのことに優先して当該案件への対応を迫られることになる。こうした状況への対応には、必然的に大きなエネルギーを費やさざるを得ない。またその過程では、大きなストレスもかかる。そして重要なのは、常時そうしたことがらに焦点を当てている限り、そうしたことがらを一つ処理すればまた別の同様の性質のことがらが発生し、結局はいつも何かに追いかけられている状態から脱出することができず、ストレスも大きい生活になってしまう可能性が大きいことである。

一方、(二)の例としては、履修授業の試験日程やタームペーパーの提出期限に合わせるかたちで一学期間を通して詳細な学習計画を立てること、自分の将来の夢に関係する資料を収集したり関係機関に話を聞きに行ったりすること、などがあろう。このような性格を持つ(二)の行動としてどのようなものがあるかを常に考え、そしてそうした行動にできるだけ多くの時間を割くことを意識的に行っていくことが極めて重要である。

なぜなら、第一に、それは外部からの強制によってではなく、自分自身の意志に基づく行動であるか、あるいは自分の裁量により大きく左右できることなので、それはストレスのない楽しいことがらであるからだ。つまり、この種のことがらに対しては、人間として自立性(自律性)の高い行動、あるいは独立心を持った行動ができるわけである。そして第二には、とくに重要な点であるが、(二)のタイプの活動に割く時間を増やしていけば、上記(一)のタイプの活動が次第に減ってくる結果となり、生活パターンを望ましい方向に大きく変化させることができるからである。なぜなら、(二)の行動は、先々のことを考え、問題が発生する原因を直接取り除き、危機になる前に対応する行動にほかならないからである。

なお、(三)の例としては、音楽会の入場券をコンサート当日にもらったので、あまり興味を覚えないけれどもそれに行ってみる、などの場合がある。また(四)には、雑多な電子メールに一々コメントの返信したりすること、などが含まれるであろう。これら(三)および(四)の行動ばかりしていれば、繁忙感はあるものの実り少ない生活(いつも他人にコントロールされる生活)を送ることになりかねない。このため、これら二つの行動はできるだけ減少させるべきものである。

具体的な対応方法の第二は、物理的には同じように例えば二時間が存在しても、その質は大いに異なるので、最も生産性を上げられる時間帯をまず確保し、そのうえで最も重要な仕事、そして最もエネルギーを要する仕事、つまり上記(二)に該当する活動をそこに充て込むべきことである。創造性を要する作業を行う場合には、細切れの時間を合計した二時間を確保できても使いものにはならない。自分の思い通りに静かに作業ができるひとかたまりの二時間が確保されることによってはじめて、生産性を高めることができる。また、一日の終わりに近い(夜遅くの)二時間よりも、しっかり休養をとった後での(午前中の)二時間の方が、一般的には精気に満ちているといえるだろう。

 このように考えると、新しく始まる一日の作業は、「第一にやるべきこと」つまり上記(二)のタイプの活動からとりかかるべきであり、それ以外の仕事は後回しにし、前者が終わってからそれを行うようにすることが大切である。逆にいえば、朝のまとまった時間に(四)のタイプの作業、例えば広告郵便物の整理などをするのは、全く不得策といえる。

緊急性はないが重要性の高いことに重点を置く、そして最も精気に満ちた時間にそれを行う。こうした生き方は、われわれの生活上の基本原則とするに値することだといえる。なぜなら、それを実行すれば、将来ものごとが複雑化する事態を小さくすることができるだけでなく、われわれの日常のストレスを減少させる効果が大きいからである。

 私自身、このような時間管理の考え方を十分知らないまま長年仕事をしていたため、今にして思えば残念なことが少なくない。しかし、近年はできるだけこれらの原則を意識した生活をするようにしている。人さまざまであろうが、私の場合、講義や学内の各種委員会がある日を除き、通常は午前中に二時間の時間ブロックを一つ、そして午後には同様の二時間のブロックを二つそれぞれ確保するように努力しており、それを通じて大学教員としての各種責務を達成すべく努力している。その結果、職務の能率は幸いにもこのところ大きく向上してきているように思う。

時間は合計が同じ一二〇分でも質的に大差がある。まず最善の時間ブロックを確保し、そこに最も重要な作業(勉強)を充て込むべきである。

(「金融経済論」講義より。二〇〇二年六月一〇日)





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