今日は「苦境に陥るからこそ成長がある」というメッセージを諸君に伝えたい。苦境というのは、苦しく困難な境遇(difficulties)のことです。われわれは、そうした状況に時々直面します。否、深刻さの程度はともかく、むしろわれわれは、ほとんど毎日何らかの問題に直面し、思い悩んでいるのが普通でしょう。 人間として生きている以上、必ず色々な問題に次々と遭遇します。そうした状況を意味する言葉として、問題(problem)が発生する、障害(obstacle)にぶつかる、窮地(predicament)に立たされる、逆境(adversities)に陥る、危機(crisis)に直面する、挑戦(challenge)を受ける、など多様な表現があります。このことは、逆にわれわれがこうした事態に立ち至ることがいかに多いかを示唆しています。そうした場合、われわれは苦痛(pain、suffering)を感じるわけです。 不可避的に直面するこのような状況は、どのように理解し、どのように対応するのが賢明なのだろうか。われわれは、そうした状況に直面することが頻繁にあるだけに、そのような時に取る態度は、われわれの精神状態だけでなく、人間としての成長を大きく左右することになります。重要なのは、われわれはそのような問題状況自体を変えることはできず、変えることができるのは、われわれ自身の態度(attitude)あるいは捉え方(perception)であるという点です。われわれがものごとをどう捉えるかは、われわれが自分以外の世界との関係において自分自身をどう位置づけるかという認識の仕方(mind set)を意味しています。問題に直面した時にとるその態度こそが、実はわれわれがどのような人生を送るかを大きく左右することになるのです。 では、望ましい態度とはどんな態度なのか。それは、一見問題であると思えることでも、すべて肯定的に、好意的に、前向きに解釈し、理解してみる、という姿勢です。問題はすべて好機を意味する(A problem is an opportunity)という捉え方です。あるいは、どんな状況であれ、あえて好意的な側面を見いだすという積極的な発想方法(positive thinkingあるいはpositive mental attitude)です。全く同じ状況におかれている場合、ある人はそれを問題が生じていると捉えるでしょうが、別の人はそれを絶好の機会が訪れていると捉えるかもしれません。その差異は、すべて対象を理解する視点の差異に基づくものです。だから、後者のような捉え方をすべきだ、というわけです。これは、人の生き方に関してだけでなく、例えば企業や組織を対象とする経営学においても、戦略として一つの有効な標準的考え方になっています。 なぜこうした発想が望ましいのだろうか。確かに、一見したところでは、このような捉え方にはやや無理が伴わざるをえないようにみえるかもしれません。しかし、問題状況であっても(むしろ問題状況であるからこそ)それを肯定的に理解した方が、結局のところ、自分自身にとって得策だからです。なぜそうなのか。それは、問題に正面から向かい合うことが成長の糧になり、またわれわれが人生において直面する問題は(数学の問題などとは異なり)その中に必ず解決策が何らかの形で含まれているからです。 そもそも、問題が発生しているということは、われわれ自身にとって苦痛であると同時に、われわれが従来から持っている選択肢を越えて何か新しい選択をしなければならない状況に追い込まれていることを意味しています。従来から存在する選択肢で対応可能であれば、それは問題と認識される状況にはもともと至りません。つまり、われわれの前に障害が立ちはだかっている場合、それはわれわれが従来持っている認識の仕方では解決不可能であり、従来にない解決方法を創造して対処(creative response)しなければならない状況に置かれていることにほかなりません。 いいかえれば、危機が発生するとは、われわれが従来から持っているものの見方を大きく変えよ、つまり創造的な発想によって対応せよ、という大きな挑戦の機会が与えられていることを意味しています。このため、その事態に正面から立ち向かっていく限り、われわれは従来よりも能力や判断力を伸ばすことができるわけです。だから、問題に遭遇した場合、それは、苦痛が伴うものであることを率直に認める、そのうえでそれは人生の新たなページを開く機会であることを理解する。そうすれば、問題状況は、われわれが成長する機会に転化できることになります。 つまり、挑戦せざるを得ない事態が現に生じている場合、そのほんとうの意味を直ちに容易に理解することはなかなか難しいことではあるが、時間が経てば必ず、それは貴重な学習の機会であり、われわれを強くし、成長させてくれる一つのありがたい贈り物であった、とわかる時が必ずくるものである。もし人生に何も問題がないならば、精神的に成長する機会が訪れることはなく、したがって人生は退屈なものになる。問題への遭遇とそれへの積極的な対応は、われわれに自信を与え、精神的に成長させてくれるものである。そして、自分自身の成長は、うれしいことであり、それは生きがいを高めてくれるものである。だから、問題に直面することは、結局、生きがいのある人生を可能にすることになる。 問題が生じている状況、あるいはいやなことも、すべて肯定的に解釈するということがいかに大切であるか、私自身、近年ますます確信を深めています。例えば、かつて私は、研究や教育には直接関係のないある大きな仕事のSFC責任者に任命されたことがあります。それは、多大な時間と労力を要する仕事だったので、しばらくは嫌な気分を禁じえませんでした。しかし、発想をかえれば、そうではないのです。SFCは私に信頼を置いてくれていたからこそ、その仕事を与えてくれたのであり、したがって、それは感謝すべきことなのでした。また、いずれにしてもやらねばならない任務ならば、しぶしぶやるよりも前向きに捉えて気持ち良く行った方が、自分にとって明らかに得策である(それは単に私だけでなく周囲の方々にとってもそうである)と考えるようにしました。その結果、この仕事をこなすことを通じてSFCの色々な面について実に多くのことを学ぶことができ、それはたいへんありがたい経験となりました。その仕事を与えてくれたことに、今ではとても感謝しています。 すべての苦境はあえて好意的に解釈すべきである。それが必ず自分のためになる。 (「金融経済論」講義より、二〇〇二年五月十三日) |