(九)リスク---リスクを取らねば成長はなく充実感も生まれない

今日は「リスクを取らなければ成長はなく充実感も生まれない」ことをメッセージとしたい。リスク(risk)とは、悪い事態を招いたり、危害を受けたり、あるいは不利を受けたりするかも知れない危険、ないしおそれのことである。起こるかもしれない悪い事態の実体がはっきりしていることもあれば、そうでない場合もある。

われわれの行動には、常にこうしたリスクがつきまとっている。われわれは、色々な場面において、リスクの少ない行動を取ることができる一方、リスクが比較的大きい選択をすることもできる。後者のように、リスクにものおじせずに立ち向かっていく強い心がある場合、勇気(courage)がある、といわれる。だから、勇気ある行動には常にリスクが伴っている。

こうした勇気ある行動として、私は一つの事件を忘れることができない。それは、先年(一九九九年)、SFC学生の多くが利用する小田急線湘南台駅の近くにある踏み切りにおいて、ある一人の人が線路上にふらふらと倒れ込んだことから始まる。それを目撃した今泉友佑君(当時SFC総合政策学部一年生)は、電車がその人を近づいているのを知り、その人を線路から助け出そうとして大急ぎで自ら線路に踏み込んだ。しかし、残念ながら、そこに電車が到来したので同君ははね飛ばされ、痛ましくも死亡したのである。身を挺して人を助けようという同君の勇気は、何とすばらしいものであろうか。後日になり、慶應義塾長から特別の表彰状(が家族に手渡されること)をもって同君のその勇気ある行動が讚えられた。たいへん心の痛む事件であったが、SFCにこのような勇気ある学生がいることを、私はSFC教員の一人として誇りに思っている。

このように命にかかわることでなくとも、われわれは日常的に勇気ある行動が求められている。例えば、ウソでなく真実を話す勇気、不正なことが行われている場合にはそれを黙認せず口に出して言う勇気、自分の信念に背くことは行わない勇気、あるいは自分は人と異なっても構わないとし付和雷同しない勇気、などが挙げられるだろう。これらの勇気ある行動をする場合には、他人との間で摩擦を起こすといったリスクがある。そうしたリスクは、比較的小さいものかも知れない。しかし、そうであっても、そうしたリスクを取ることによって、人間としての誠実性、自律性など、かけがえのないことがらを保つことができることになる。

これらよりも大きな問題についても、このことは同様に(むしろそれ以上に)当てはまる。われわれが新しい事態に直面する時、あるいは何らかの問題が発生した時が、ちょうどこれにあたる。そうした事態は、たいてい、新しい好機が訪れた時、あるいは新しい経験のできる機会である。このため、それはわれわれ自身の能力を拡大させる機会、あるいは従来の能力の新しい使い方ができる機会であることを意味している。だから、これを一つの挑戦として捉えれば、それは人間として成長する機会が与えられたことになる(第一章(四)を参照)。したがって、そうした機会は最大限生かす方が得策である。

ただ、それには必ずリスクが伴う。もしリスクがないのであれば、それはもともと新しい経験ができる状況ではなく、また好機でもないのである。だから、好機とはいえ、それには必ずリスクが伴っているので、それへの対応は失敗することがありうる。このことを承知していなければならない。失敗するかもしれない、あるいは失うかもしれない、という理由でリスク・テイキングを回避すれば、それは成功を得ることを自ら放棄していることを意味する。また、そうしたリスク回避は、一見安全なようにみえても、成功する(夢が実現する、広い意味で利益を得る)機会を意識して放棄していることを意味する。このため、それは長期的にみれば、むしろ大きな異質のリスクを背負い込む結果になっている、ともいえる。

一方、リスクを取る(挑戦に応えていく)ということは、失敗する、苦痛を味わう、という可能性があることを承知することである。そのためには、勇気が要る。逆にいえば、失敗をしない人は、たいていの場合、新しいことは何も作り出せない人であり、またそのような場合、人生は活気がなく停滞したものになる。危険をさけていては成功できない。このことは「虎穴(こけつ)に入らずんば虎児(こじ)を得ず」(No venture, no gain)という諺にある通り、古今東西の真理である。

結果はどうなるかわからないが、可能性に賭けてみる、という態度によってはじめて(そしてたいていの場合それによってしか)人生の大きな成功は覚束ないものである。例えば、諸君の場合、国際機関に入って仕事をしてみたい、という人が少なからずいるであろう。しかし、それは現実には極めて難しい道である。正規職員になるには、ほとんどの場合、まずPh.D.(博士号)の資格を要する。また、例えば世界銀行の場合、そこに就職できる可能性につながるヤング・プロフェッショナル・プログラムというインターン制度がある。このプログラムには、毎年四十五ないし五〇人が採用されているが、これに対して世界中から毎年何と六千人を越える応募者がある。

そのように厳しいからといって、最初からあきらめてしまえば、夢が実現する確率はゼロになる。逆に、それがほんとうの夢といえるのであれば、挑戦すればよいのである。そうすれば、実現の確率はゼロではなくなる。その場合、むろん長期間にわたる周到な計画を立てるとともに、死に物狂いで勉強する必要がある。そして、その過程においては、例えば安定した就職先を放棄しなければならない事態になるかも知れない。あるいは、その間に年齢を重ねてしまうため、うまくゆかなかった場合には日本企業への就職の機会が大きく限定されてくる、などという様々なリスクが当然ある。しかし、人はリスクを取ることによって成長し、人生はそれを通じて充実するものである。

私の場合、人生における一つの転機は一九九〇年に訪れ、そこで大きなリスクを取るかどうかに直面した。それまでは、日本銀行の金融研究所において、研究活動のほか研究所の運営に関わる仕事をしていた。そうした折り、この年の七月、米国ペンシルバニア大学で「日本経済論」の授業を新学期(九月)から担当できる可能性があるが、それを引き受けるかどうか、という判断を迫られた。

それ以前に米国の大学への留学経験があったので、その提案を受諾する(教壇に立つ)場合には、自分として大きなリスクを取り込むことは十分わかっていた。つまり、日本経済に関する一応の知識はあったものの、米国の大学では講義ノートを朗読するような一方的なやり方ではなく討議を十分に折り込んだ(インターアクティブな)授業をする必要があるが、果たしてそれを十分にできるかどうか、である。また、週二回の(当然英語での)講義を一学期間行うための準備に毎週追いついて行けるかどうか、この懸念も大きかった。さらに、学期最終日には学生による授業評価があり、その結果は掲示板に貼りだされるが、もしその評価が芳しくなければつらい思いをすることになるが、それでもよいのかどうか。そして、海外への急な引っ越しはもとより、授業関連資料の収集、授業第一回目に配付する詳細な授業シラバスの準備など、多くのことをわずか二か月足らずの間にできるのかどうか。

このオファーを選択するならば、これらの不安を自ら引き受けることを意味していた。一方では、わざわざこの任務を引き受ける(これらのリスクを取る)よりも、むしろ日本の大学を対象にして同様の可能性を考える、あるいは国内においてなじみの深い何らか別の仕事を考える、という比較的容易な道を選択することもあり得た。しかし、いろいろ考えた結果、上記の提案を受諾し、これまで経験がなく、また考えてもみなかったことに挑戦することにした。それは、予想どおり私を苦める日々をもたらすことになった(自転車操業的に書いた一学期間の講義ノートは約五〇〇枚にもなった)。

 しかし、学生諸君からは、幸いにも好意的な授業評価をもらうことができた。そして、事後的にみれば、この半年間は私にとってたいへん充実した期間となり、きわめて貴重な経験が得られた。今日、SFCの教壇に立つことができているのも、このおかげと考えている。

 われわれは、自分には無理だと思われることに挑む必要がある。

(「金融経済論」講義より。二〇〇二年六月十七日)





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