(七)時間---今日一日の充実に向けてエネルギーを投入する

 今日から六回の講義では、一日一日を充実したものとし、後悔のない学生生活をしていくうえで大切だと思うことを、これまでよりもやや具体的に幾つか述べてみたい。

まず今日は「時間」をテーマとしたい。そしてメッセージは「今日一日の充実に向けてエネルギーを投入する」である。

そもそも時間とは、実に不思議なものである。第一に、時はひとたび過ぎ去れば、絶対にそれを取り戻すことができない。また、時間はいつも同じペースで流れており、何かの機会に束ねて使おうとしても時間を寄せ集めるということもできない。砂時計をみていればよくわかるとおり、時間は容易にどんどん経過してゆく。その一方、ひとたび下に落ちた砂をグラスの上に押し戻しすことはできないのと同様、時間は逆転させて再スタートさせるということが不可能である。つまり時間は「不可逆性」を持つ。

時間のもう一つの特徴は、万人に対して等しくそれが与えられていることである。金持ちだから時間が多く与えられ、貧乏人だから分け前が少ないということはない。また大学では、学部長だからといってそれ以外の教員よりも多くの時間が与えられているのではない。そして教員が学生よりも多くの時間を与えられているわけでもない。つまり時間は「平等性」も併せ持っている。だから、時間はわれわれ全てにとって、ありがたい贈り物であるということができる。

時間のこうした性質と貴重さを認識すれば、重要なのは、いま直面している一刻一刻を大切にし、それを最も有効に使うことである。これは、自明のことかも知れないが、改めて認識すべきである。過ぎ去った過去の失敗や誤りを嘆いても、それを変えることはできない。過去は、定義により過ぎ去ったものであり、如何ともしがたいことである。われわれの力で変えることのできないことは、ただ単に受入れるしかない。この点は、後日話すことでもあるが、そうすることによって気分が安らかになる(第一章(十二)を参照)。

一方、われわれが働きかけることができ、ベストをつくしうる唯一の時間は、今のこの瞬間であり、またこの瞬間以外にはない。だから、過去の過ちにくよくよするのではなく、われわれのエネルギーをいまこの瞬間を充実させるために振り向けるしか現実には方法がない。また、それを意識して実行するのは最も賢明なことでもある。一刻一刻を大切にする。一日一日を貴重な贈り物として受け止め、目の前にある一日に焦点を当てることによって、その一日を最も有意義に使うことだ。なぜなら、われわれは複数の日を一度に生きることはできないからである。

われわれの生活が一日単位となっていることは、考えてみれば、とてもありがたいことである。なぜなら、朝がくるたびに、新しく区切られた一日を新鮮にスタートできるからである。つまり、昨日のことは、もはや変えることのできない過去として沈んでしまっており、目の前には、われわれの意志を投影して絵を描くことのできる時間がいわば真っ白なキャンバスのように控えているからである。古来から知られる「日々これ新たなり」(日々是新、Each day a new beginning)という知恵は、まさにこのことを表わしている。

一方、一日のうちにできることは、さして多くないこともまた事実である。しかし、われわれが努力して達成するだけの価値があることは、すべて、小さく分断され対応可能となった一日一日の作業の累積として初めて完成するものである。だから、われわれ自身が五年後あるいは一〇年後にどのような姿になっていたいのか、についての自分なりのイメージないし夢を持ち、その実現に向けて今日の一日を費やすべきである(第一章(二)を参照)。一日が終わったとき、それが価値ある一日であったかどうかは、そうした方向に少しでも近づいたかどうかによって判断できるだろう。

一日を大切にするうえでは、「時間を守る」ということが実に大切になる。なぜなら、それは社会生活が円滑にいくうえで大切であるだけではなく、自分自身にとっても重要なことだからである。日常生活では、約束の時間を守る、会議開始の時間に遅れずに着席する、書類提出期限を守る、など時間の順守を要請されていることが多い。それは、ともすれば、意に反して強制されたものと考えられがちであるが、実はそうではないのである。

時間を順守すれば、ともすれば複雑になりがちのわれわれ自身の生活が、より簡単で気持ち良いものになるからである。所定の時間に遅延した場合には、たいてい遅延の理由を述べたり、弁解ないし謝罪したりすることになる。しかし、時間どおりにものごとを行えば、そうした面倒かつ非生産的なことをする必要がないし、やましい思いをする必要もない。そして何よりも、気持ちのうえで余裕が持てるので、事前的にも事後的にも心配やストレスから開放される。時間厳守は、自分にとって大きな利益になるのである。残念ながら、多くの人(学生諸君だけでなく一般にも)はこのことを十分に理解していないように私には思われる。

私自身の場合、何ごとにつけ、時間順守を一つの大きな生活原則として自らに課しており、その結果、上記のような恩恵を受けている。例えば、大学への各種書類の提出期限は、当然のことながら順守するとの方針を貫いている。また、各種会議に出席する場合、その開始時刻には必ず着席するようにしている。後者については、関係者はお互いに時間を大切にし会議の能率を上げる義務があるからでもあるが、一方ではそれが上記のような意味で自分自身のためになるからでもある。

私の担当する授業や研究会においても、レポート(報告書)ないしタームペーパー(学期論文)の提出に際して、時間厳守を大きな原則に掲げている(その違反に対しては相当大きなペナルティを課す)。それは、一つには、一般社会における規律を今のうちに諸君に身に付けておいてもらいたいためである。そして、いま一つには、それが学生諸君が生活するうえで、上記のような意味で大きなプラスになると考えているからである。

やや細かいことではあるが、私はレポート類の提出締切りに関しては、一般になされるように特定の日を締切り日とする(点指定)のではなく、一定の幅を持った数日間(通常は三日間程度)のうちに提出するように指定(帯域指定)している。そうした場合、多くの諸君は、それらの日うちの最終日に、しかもその日の締切り時間(事務室窓口が閉鎖される四時四十五分)ぎりぎりに提出する傾向が強い。締切り時間前に提出するのは損をするかのごとくである。そうではないのだ。時間ぎりぎりに提出するような対応をすれば、推敲不十分な論文を提出せざるを得なくなるとか、あるいは電車事故が発生して締切り時間に間に合わなくなるとか、各種のリスクが大きくなる。むしろ、締切り最終日より前に提出する方が、学生自身にとって得策なのである。だから、そのように予め自ら予定を組むべきなのだ。

 数年前、この授業を履修していたある女子学生が、そのレポートを提出した後に私の部屋を訪れてわざわざ私に語ったことが、強い記憶に残っています。彼女いわく「これまではレポートを締切り前に提出することなど全く考えたこともありませんでしたが、今回は初めて、締切り最終日ではなくその前日に提出することを自分で計画し、その通りにすることができました。その結果、こんなに気持ちがよくなるものだとは知りませんでした」と。

「時間厳守」主義を実行すれば、われわれは心配やストレスから開放される。

(「金融経済論」講義より。二〇〇二年六月三日)





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